SONG-19【環境を変えた。名前も変えた。自分らしく生きる】リセット完了

SONG-19main-visual-New-Name 名刺に kaz と書いてある画像。
新しい人生のスタート!

やっとスタートラインに立てた。

あとは行動あるのみ!


具体的なストーリーで考えるヒントをつかもう。

ドキュメンタル STORY で人生をリセット!
〜机上の空論じゃ現状を変えられない。実例からヒントを得よう〜

ボクについては プロフィール を見てね

New-hero

馬に乗り出陣する侍の姿。雄々しい。
目次

SONG-19 リセット(第三章スタート!)

────名前のこと────

1年半ぶりに日本に戻ってきた。

手続きを済ませ空港ロビーに出ると懐かしさとほろ苦さがこみ上げてくる。

「ボクは再び、この国に根を張り戦うんだな」

あの息苦しい昔の環境、

リセット完了だ。

ボクは今から新しい人生を歩き出す。

New-job と書かれた透明のボードを指で押さえる新人のビジネスマンの写真。

新しい何かが始まるイメージ。

横浜にあった両親の家は1年前に売りに出され、もう誰かのものになっていた。

ボクが渡米する前から、おばあちゃんがボケ始めていた。

何年も前におじいちゃんが死んで、ひとりぼっち。
あの広い家に住んでいたおばあちゃん。案の定、寂しさからか、つけっぱなしのテレビばかり見て刺激もなく人との会話も減ったおばあちゃんは霧の世界の住人になってしまった。

最後に会った時にも、もうボクを忘れたり突然思い出したりの状態だった。その後、本当に誰のこともわからなくなったらしい。

OLD WOMANが、ピストルを構え、笑いながら BANG と言っている画像。

そんなおばあちゃんの面倒見るため、父親も母親も田舎へ移住していった。おやじの退職金が殊の外多かったようで、両親は田舎で喫茶店とキティちゃんのグッズショップなんぞを始めたようだ。

多分に母親の趣味だろうが、おやじは真面目な男で、会社から引きとめられても固辞し、カフェの専門学校に通ってコーヒーを学び、美味しい淹れ方を覚えると喫茶店のマスターになった。

あのおやじが水商売なんて務まるのか? と思ったが、商売は繁盛でマスターの評判もいいらしい。真面目で人に愛される人柄だから、うまくやっているんだろう。

そんなわけで、「もう二度と家になんか帰ってくるか」と叫んだあの日の言葉通りボクは実家を失った。

開いた口からアルファベットが溢れ出している画像。 その横の黒板に 「words-are-powerful」 というメッセージが書かれている。

言葉というのは強い力を持つので気をつけて使った方がいい。冗談でも好きな人に消滅の言葉を投げつけてしまうと本当に居なくなってしまったりする。悪い言葉は使わないことだ。

 

日本の空港に着いた時、もう1つリセットしたものがある。

名前だ。

今、ボクは、kaz という名前を普段は使っている。

空港の椅子に座って、真剣に考えた。「洋一」という名前はボクの大好きなおじいちゃんがつけてくれた。おやじが大型タンカーの船乗りだったので、太平洋の洋が入っている。いい名前だと思う、おじいちゃんありがとう。

でも、この名前にはそれ以上にいやな思い出が詰まっている。「よういち、なんだお前は」「ようちゃん、あんたみたいな・・」そういうあの頃が詰まっている。忌まわしい記憶とセットになってるんだ。

be abused

それは人には理解出来ないほどの悔しさ、途方もなく切なく悲しい記憶、金属バットを振り回したいほどの恨みつらみ、怨念がこもっているんだ。

だから、「洋一」なんて気軽に呼ばれたくない。そう呼ぶ人は、敵だと思ってきた。たとえ冗談でも、本名で呼ぶヤツとはサヨナラしてきた。

たかが名前だけど、ふざけて呼ばれるだけで、あの頃の思い出が呼び起こされ怒りで全身が震えた。最近はそうでもないけど、でも気分は悪くなるな。

もう、おじいちゃんとの思い出の中だけで「洋一」は存在すればいい。他の人に呼ばれたくはない。

だから日本に帰ってきて空港で。

すべてをリセットする時に捨てたんだ、悪い記憶といっしょに。

travelers at the airport

空港を出たら新しい日本の生活が始まる。だから名前も嫌な記憶も空港のゴミ箱に捨てて、新たに日本の地を踏みしめた。戸籍からも消そうとしたが、さすがにそれはできなかった。

これからは kaz として生きていく。 

 

なぜ kaz なのか?

洋一と書いて、昔の悪友たちから「ひろかず」と呼ばれていたので、それをひっくり返しただけだ。空港で急遽考えた辻褄合わせが「かずひろ」だった。「かずひろ」で第2の人生のスタートを切ったつもりだった。

けど面倒くさくなり、いつの間にか kaz で省略している。

今まで友人たちにも話してこなかった事実だけど、だいぶ年もとったし、そろそろいいかな、と封印してた秘密をカミングアウトしてみた。たいした話じゃないけど、もしボクと友達になってくれるなら、 kaz って呼んでくれると嬉しい。

メンバー探し

さて。

帰る実家もない。新たな人生には頼る知り合いもいない。

ホームレスにはなりたくなかったので、とりあえずねぐらを探そう。

homeless

東京で部屋探しをしたボクは、少なくなった手持ち資金でも借りられそうな物件を見て回り、流れ流れて足立区の西新井大師の裏のアパートに転がり込んだ。

そこはまさに崩れ落ちそうなオンボロアパート。歩くたびに床が沈んだ。タダ同然の家賃で敷金礼金もいらない。貧乏人にはうってつけだったが、新しいビルが建つまで、という期間限定の契約だった。出て行け、と言われたらいつでも出ていかなければいけないが、なんとかなるだろう。

すぐ近くに「東京マリン」という豊島園みたいなレジャープール施設があったので、そこで契約社員のようなアルバイトのような形で働いた。夏はプールの監視員、冬はローラースケート場の監視員だ。

エンターテインメント業界にいれば「バンドやりたい」ってヤツと巡り会えるかもしれないという目論見があった。

プールサイドの高い椅子に座り、赤い帽子、黄色いユニフォームTシャツ、赤い競泳用水着をはく男のlifeguard

それまでボクの出会った人々、日本での登場人物たちをほとんど自分の映画から追放したボクは、アメリカで出会った夢の実現に奔走した。

日ごとふくらんでくる情熱が抑えきれない。いつの間にかボクは「あの日見たようなバンドを結成し、音楽で成功する」ことこそ生きる意味だと思うようになっていた。 

そこで、まずボクは都内の音楽スタジオ、ライブハウスに片っ端から「メンバー募集」の告知を貼ってまわった。

何十年も昔のこと。音楽スタジオもライブハウスも本当に少なかったし、へんぴで駅から遠いところにあるのでテクテクテクテク歩いて行った。交通費を使いたくなかったから「遠いなぁ」と思いながらも30分も1時間も歩いた。

探し回り、歩き続ける男の足元のアップ画像。

隣に
Members Wanted のチラシ。

それほど苦労してチラシを貼ってまわっても、まったく音沙汰なし。

1件も電話がかかってこなかった、というのは嘘で、連絡あったかどうか、よくわからない。

今と違って、携帯電話なんて存在しない。当時電話は家の中にあった。黒電話で、電話の権利を買わないといけない。つまり電話1台10万円ぐらいする。

そんな高価なものを買ったのに、さらに「留守番電話の機械」なんて買う余裕もない。当時の留守番電話は高かった。

仕事したりメンバー探しでしょっちゅう家を空けるボクは、問い合わせが来ても留守が多い。メンバー募集のチラシには夜間遅めの時間帯なら電話に出れる旨を書いたが、待っていても電話はほとんど鳴らない。

仕方がないので作戦を変えてみる。

昔の知り合いに電話するのは嫌だったが、高校時代唯一の友達だった菊地に電話した。

old phone
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