セレンディピティ(serendipity)とは、
素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。
意外な方向から幸運は舞い降りる
この世は、自分の思っている計画や予定を遥かに上回る驚きや出会いに満ちている。意外な角度から「目が醒めるほどの感動」を与えられることもある。
幸運を招くには、自分の計画に囚われすぎない。
心をオープンにして、意外な出会いも受け入れ人生を謳歌することが目的達成を早め、幸せになる道だ。
セレンディピティとは「思いもよらなかった偶然がもたらす幸運」のこと。
さらには、「幸運な偶然を引き寄せる能力」という意味で使われることもある。 言葉の語源は、『セレンディップの3人の王子たち』というおとぎ話にあるといわれている。
セレンディピティの事例
セレンディピティの例として、よく知られているのが、「ペニシリンの発見」だ。
発見者はイギリスの細菌学者であったアレクサンダー・フレミング。1928年、ブドウ球菌の研究をしていたフレミングは、細菌を培養するシャーレの中に青カビを発生させてしまった。
普通なら、これは失敗。
しかし、その際に青カビの周りでは細菌が繁殖していないことに気付いたのだ。失敗がもたらした この発見によって、青カビから抗生物質であるペニシリンが抽出され治療薬として使われるようになり、医学に多大な功績をもたらした。
このような事例は、パン職人がパンを製造しているときにも起こる。工程を間違えて、あるいは具材を入れ忘れたりして「新しい食感のパンができた」というような話もよく聞く。
つまり、失敗や苦しみの影に「偉大な発明や発見」「現状を打破するヒント」が隠れている、ということだ。
そうだとしたら、失敗や苦しみもまた。成功のきっかけなのかもしれない。失敗を恐れず「成功が隠れているかも」と考える習慣が成功マインドだ。
今回のボクの話も、そういう セレンディピティ に満ち溢れている。
具体的なストーリーで考えるヒントをつかもう。
ドキュメンタル STORY で人生をリセット!
〜机上の空論じゃ現状を変えられない。実例からヒントを得よう〜
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SONG-23 ミスタースリム・カンパニー
神様から「日本へ強制送還」されたボクは、もうこの地で頑張るしかない。
しかし。
メンバーが見つからない。どうやっても見つからない。
疲れ果て、町をさまよい続けるボクは、池袋の駅でふと足を止めた。駅の連絡通路の壁に、連続で同じチラシやポスターが貼ってある。
「ミスタースリム・カンパニー 公演」
劇団の宣伝だ。
小劇場活動というものが、社会現象になるほど流行しはじめていた。柴田恭平やら根津甚八といったスターが、マイナーな場所から続々生まれてくる。
「へー、グリースみたいだな。カッコイイ」
ポスターにはリーゼントと皮のジャケットを着た連中が写っていた。アメリカで見た、あの「グリース」という映画の記憶がよみがえってきて、ドキドキしたんだ。
「ロックンロール ミュージカルか・・・ 見に行ってみようかな」
軽い気持ちで、日時と場所を記憶した。
四谷に「フォーバレー」というライブハウスがあった。
その前身が「ミスタースリム・カンパニー」の芝居小屋だった。「D・DAYシアター」と言って、自分達の公演を365日やるために作ったらしい。
あのホールは当時から照明の数がすごかった。天井にも壁にも、びっしり。
照明というものは すごい効果がある。空間が限りなく広がる。その後、ボクのバンドで「フォーバレー」に出た時、なんだこんなに狭かったのか、ってがっかりしたけど・・・
スリムはそんな狭さ、全然感じさせなかった。照明の効果だ。
四谷三丁目の駅で降りて、工事してる道を歩いて「D・DAYシアター」に着いた。まだ時間前なのに、ズラーッと長い行列が出来ている。「スリム フリーク」みたいなファンがいた。
時間より随分押して、やっと入場がはじまったんだ。地下へ続く階段を降り、受付の兄ちゃんがケンタッキー・フライドチキンを食べながらチケットのもぎりをやっていた。
入口に入るとイントレという工事現場の足場のような黒い鉄パイプが縦横無尽に走っている。ジャングルジムみたい。まるで競技場のような、段々の階段状客席。中央のステージを見下ろす形になっているんだ。ローマの「コロッセオ」を彷彿させる。
場内は、リーゼントのスタッフや役者のポマードの匂いと、黒い皮ジャンの匂いでむせかえり、ワイルドな刺激に心が躍った。
客席にもクールな客が多く─── もっとも後になってわかったけど、スリム関係のやらせの客も混じっていた───
「ピーッ」と指笛を鳴らしたり、ヤジを飛ばしたりしている。おお、まるであの日の映画館!
狭いステージにはドラムセットが置いてあり、ギターとギターアンプもいくつか置いてあるから、こんな狭いとこで芝居のスペースなんてあんのかな? と心配になった。
生バンドのセッティングをちょっと直したり、チューニングしたりしているミュージシャン。ステージの半分ぐらいには金網がはってあり、その後ろには「シュープリームス」みたいな、女のコーラスグループが陣取っている。
雰囲気があるよ、凄く。「これって、グリースを見た時と同じ」
予感で 体が武者震いをはじめた。
「ダン!」
突然、照明が落ち、真っ暗闇になった。
壁をける音。床を踏み鳴らす音。怒ったような声。
「ミスタースリム・カンパニー ファイッ!」
「オー!」
ぞくっ、とする狂暴さで ステージがはじまった。キャロルみたい。
バックサスライトの強烈な光。ステージ前面に横一列に並んだ数本のストレートマイクにかじりつくように歌う、というか吠える。 見たこともないような、パワフルなダンス。
ボクはミュージカルは、なんとなく気恥ずかしいというか。「何で突然、歌って踊り出すの?」なんて馬鹿にしていた。グリースを観るまでは。
そして彼らも・・・
芝居なのに芝居じゃない。たとえばダンス。足をピッと上げるのも、普通の劇団だったら、きれいに高さを揃えるでしょ? スリムは違う。「誰よりも高く。オレは頭の上まで上がる」「フザケるな! オレは天井まで届くぐらいに上げてやる」とかね。
スポーツだ。歌って踊って、きれいになんて揃える気は最初っから無い。でも、揃ってないのがかえって新鮮だった。
動物園の動物じゃなく、野生のライオンを見た想い。
TVの「こじんまり」した作りごとばかり見せられていたボクは、再び凄いショックを受けた。考えてみればあの時代、湧き出すマグマのようなエンターテインメントが多かったように思う。規格外の面白さ。「誰よりも オレは輝いてやる」1人1人がそういう匂いをプンプンさせて、カッコ良かった。
あの頃のスリムも・・・
暴走族の話だったけど、本物の暴走族がいたり、プロのミュージシャンが「キメ」のセリフを言って、「ギャーン」とギターを弾いたり、リアリティが凄い。みんな本物だ。本物の暴走族とかミュージシャンとかダンサーとかが本気で怒って暴れてるって感じ。アメリカの衝撃、感動がここにもあった!
そう思えた。ボクは幸せ者だ、この時期いいモノにすごく出会ってる。
ガツーンときた。
「そうか、これがロックするってことなんだ」
言われなくても解った。サンフランシスコのストリートバンド、グリース、そしてミスタースリム・カンパニー。みんな同じ匂いを持っていた。それは、ロックスピリッツというものだ。
「ロックってスゴい!」
特にエンディングでは、総勢百人ぐらいが一気に出てきて、ぶつかりそうになりながら思いっきり歌い、踊る。前の奴の頭をけり倒すんじゃないかと思って、こっちはハラハラして見てる。
突然、1人が客席に乱入してきて、狂ったように歌い出した。その時、「ビッ」っと、そいつの汗が、大量にボクの顔を直撃した。鳥肌が「バッ」っと立った。その時ボク、恥ずかしながら感動しました。
ちょっと考えてみて欲しい。綺麗な女の子の汗だったら、そりゃ解る。でも、リーゼントに、にきび面のアンチャンの汗だ。普通だったら嫌でしょ。気持ち悪い。怒るかもしれない。
でもね、その時ボクは、嬉しかった。カッコいい「無名のスター」の汗がかかって、パワー貰ったって気がしたもの、心底・・・
終わって劇場を出てからも、ボクはうれしくて、そこら中飛びはねてたんだ。「イエーイ! ロックンロール」本当にグリースみたいだった。
そういえば後で、主催者の1人、深水三章が 「オレは明るい芝居が作りたかったの。暗い、深く考えこむような奴じゃなくてさぁ、アメリカのオフ ブロードウェイで見た、グリースみたいなミュージカルがさ」って言ってる記事を読んだ。
「そうかぁ、そうだよな。やっぱりグリースがルーツだったんだあ。同じじゃん、ボクと」
なんて急に彼のこと、身内に思えたものだ。 実際には天と地、月とスッポンもいいとこなのに。その頃のボクは、まだステージどころかメンバーも探せてないんだし、持ってるのはカラ回りしそうなぐらいの情熱だけなんだ。
「ミスタースリム・カンパニー」 あの感動を忘れない。
今のボクのルーツと言うか、音楽を続ける原動力になった。
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