無駄に見えることも、遠くでつながっている
この時期、ボクは迷走していた。
まったく、なんて無駄な時間を過ごしているんだろうと自分自身に呆れることが多かった。
でもね、後で振り返ってみると全部回収されてる。「一見無駄に見えることも、後に役立っている」すべてじゃないけど、そう感じることが多いんだ。
今はまったく関係ない、無駄だ、と思っても将来役にたつ。
その事例を一つ紹介しよう。
スティーブ・ジョブス
コンピュータのMac を作ったアップルの創業者の話だ。
彼は「オレゴン州ポートランドの大学」に入学した。だけど半年で学校を辞めてしまう。
破天荒なんだ。変わり者なんだよ、ボクも人のこと言えないけど。
で、大学は辞めたけど、そのまま大学に居座り続け「モグリ」の学生として自分の好きな授業にだけ出てた。
その「モグリこんだ授業」の1つが カリグラフィー というものだった。
カリグラフィーとは、簡単に言うと「日本の書道のようなもの」で、文字を美しくする研究だったんだ。
いろいろな書体、文字の空け方、ひげ飾りをつけて文字を美しく見せる方法など。スティーブ・ジョブスは、その授業の面白さにのめり込み、魅了された。
でも、その後はまったく畑違いのコンピュータの世界に進んだ。一見無駄でしょう?
でもね、10年後「マッキントッシュ・コンピュータ」を開発中に カリグラフィーのことを思い出す。コンピュータの文字だからって「無味乾燥」じゃいけない。芸術のような美しい文字でパソコンの文字を読み書きできたらワクワクするな。と思い立つ。
ボクも Mac を使っているからわかるけど、ビルゲイツにはない芸術性が スティーブ・ジョブスにはあるんだよね。「虫食え」なんてことも言わないし。
だから、ボクは Mac を使う。
彼が カリグラフィーを Mac に入れたことで、Mac 以外のコンピュータにも多大な影響を与えた。
もし スティーブ・ジョブス が カリグラフィー を知らなければ、パソコンの中に今のような沢山のフォントも、文字の間隔調節も入っていなかったかもしれない。
無駄を恐れるな。無駄を嫌い過ぎず「時に無駄を愛そう」
効率を優先し過ぎるあまり、今 世の中が窮屈でつまらなく感じること多いでしょ?
行きすぎた「効率化」は人間を不幸にする。
親や教師に何を言われても。自分で「こんなことやるのは道草、寄り道じゃないか?」と思っても。本当に好きでやりたいことならやればいいじゃない?
大丈夫。
道は繋がっている
無駄に見えることも、ずっと遠くでつながって、1つになるんだ。
具体的なストーリーで考えるヒントをつかもう。
ドキュメンタル STORY で人生をリセット!
〜机上の空論じゃ現状を変えられない。実例からヒントを得よう〜
ボクについては プロフィール を見てね
SONG-24 なぜに「ひまわり」?
多分 メンバー探しに行き詰まっていたってこともあるんだろうけど。あの日見た「ミスタースリム・カンパニー」のミュージカルが忘れられない。
それまでのボクは「日本に帰ったらバンドを作る。バンドで成功して、スターになるんだ」って言い続けてたのが、その日を境に、「ミュージカル。ロックンロール ミュージカルだよ」って変わっちゃった。芝居の世界にのめり込む “きっかけ”になっちゃったんだ。今、思えばこれが、その後の音楽人生へのスタートを、随分遅らせた。
寄り道しちゃったんだ。その時ボクがやりたかったのは、芝居でもミュージカルでもなかった。ボクがやりたかったのは、ただ1つ。 「ミスタースリム・カンパニー」のやってるロックっぽいことだった。
本当はバンドでやりたかったことが、バンドマンには理解されなくて、それに一番近い事をやっているのがスリムだった。
でも、もっとよく考えてみればボクはバンドマンになりたい。いくらスリムがカッコよくても劇団はバンドではない。それが理解できていれば、遠回りすることもなかったんだけど・・・
スリムにも電話を掛けてみた。
「もしもし、あのう。そちらのロックンロールショウを見て、感動しました。ボクも入りたいんですけど・・・」
「あっ、どうも。そういうことは、募集時期が来たら ”ぴあ”とかでお知らせしますんで」
ガチャン、と電話を切られた。冷たいの。
その言葉を間に受けて、その後ずっと「ぴあ」を買い続けた。でも募集記事なんて出てやしない。メジャーだったから、すでに。
「ミスタースリム」って言えば、雑誌やTVで頻繁に取り上げられ、まさに時代の寵児。知る人ぞ知る、スターだった。
ボクとしては、何とか「きっかけ」が欲しいと焦っていた。「ぴあ」を見ては、あー今週も出てないや。パラパラっとめくっては「どうすれば ああいうステージに立てるんだろう?」と考える。
実はそれから何年も経って、ボクは少しの間スリムの研究生みたいになったことがある。「ミスタースリム・カンパニー」の中の人になって、他の連中がどうやって中に入ったのか聞いてみた。衝撃を受けたよ。
オーディションなんか受けて入ったメンバーはごく少数。他は、ボクのようにステージを観て彼らに感動した後、なんと一緒に飲みに行ったりしている。打ち上げの席に参加しているんだ。
役者に近づくのはさすがにハードルが高いから、スタッフを口説く。片付けを手伝ったりして自然にお近づきになる。そうやって内部に潜入するんだ。打ち上げの席に参加したらこっちのもの。メンバーや演出家にガンガン近づいてビールついだりしながら「えへ、えへ」と笑っとく。
すると「あれ? お前だれ?」と聞かれるよ。「ええ、スタッフの誰々さんの知り合いで。えへ、えへ」「ふーん。面白そうなヤツだな、よし今度の芝居出てみるか?」となったりする。ボクにそのことを教えてくれた役者は、なんと次の日からスリムの公演に出ていたってね。
この教訓は何だと思う? 正攻法ばかりが壁を突破する方法じゃないよ、ってこと。真面目に順番待ちして「ぴあ」を買い続けたボクにはまるでチャンスはめぐってこなかった。待ちぼうけだ。
チャンスをつかむのは「ぴあ」を買い続けることじゃない。
どうやったら自分の夢に近づけるか、正攻法以外に道は無いのか? 考えて計画を練ることだ。右向け右でみんなと同じ方向を向いている限り同じ景色しか見えない。たまには人と逆方向を向いてみよう。チャンスは人の歩かない道に転がっている。
「ぴあ」をパラパラっとめくっては、
「どうすれば ああいうステージに立てるんだろう?」
と考えていたボクは、
「ミュージカルからTVのタレントまで。明日のスターは君だ」
という広告が目についた。
「オッ、これだ。これだよ・・・なになに。劇団ひまわり? 青年部?」
笑っちゃうでしょ? ボク、「ひまわり」受けに行ったの。
代官山の裏の方。駅からズラッと 受験生が集団で歩いてる。試験があって。受かった。誰でも受かったんじゃないかな? 変なのもいっぱい受かってたし。
小田原から新幹線で通ってくる女の子もいた。
入学金、何十万もした。
ボクは、そんな金 無い。
「あ、お金かかるんですか? じゃ オレ、やめます」
帰りかけたら引き止められた。
「あ、分割も出来ますよ。月々5万ぐらいづつ・・・」
「いや。オレ、その金も無いんです」
まあ、金も無いのに そんな所受験しにいくボクもボクだけど。なんせ知識が無いもんで。
最終的に 月2万ぐらいつづ払うということで折り合ったのかな?ハハ・・とうとう入学した。
ところが。
これが入ってみると、結構ためになった。演劇の基礎、発声やシチュエーション練習とか、ステージについて色々教えてもらった。
赤木先生という いい先生がいて、
「君は続けなさい。そのうち芽が出るわよ」
と言って、つっこんだ事まで教えてくれていた。
ボクって ヤツは。大きな勘違いをしていた。明日にでもスターになるかもしれない。ここで飛び抜ければ きっとスリムのようなステージに立てる───
その後も、たとえば、はじめてライブハウスにブッキングされた時
「やった!もう少しでプロのミュージシャンだ」
なんてね。
はしゃいでいたけれど、なんと無知だったことか。恥ずかしい、プロはそんな簡単じゃない。
しかし 勘違いでもなんでも、講師たちから一目置かれていたのも事実。
ロックにとりつかれ、全速力でつっ走りたくてうずうずしている。ささいなことでも質問しまくるんだ。ギラギラしていた。
他のヤツらは、親の金で「そのうちTVにでも出れりゃいいかな」ぐらいの軽い気持ちだろ。お稽古事の延長だ。お前らに負けてたまるか、と トンガっていた。
性格的には問題ありだが、イヤでも目立つ。
人生かけて勝負しているからね。
ボクは何ヵ月間か、「ひまわり」の講師陣をしゃぶり尽くした。演技法も、演出論も。
で、やめたんだ。金が続かないから。
全部で5万ぐらい払ったのかな?滞納、滞納で。
「まあ、とり合えず 色んなことも解ったし、後は実践あるのみ!」
ってね。
「やめちゃうの? もったいない。これからTVとかに出れるのに」
と、ひまわりの人に言われたけど、ボク、タレントとか そういうの興味ない。
「さんざ教えてもらって、お金ちょっとしか払ってなくて申し訳ないっス」
そう言いながら心の中では「ひまわり」は 他の生徒からいっぱいお金取れるんだから、いいかな? なんて勝手に解釈した。
最初、友達に話した時。
「オレ、”ひまわり”入ったからさ」って。
「なんじゃ そりゃ? お前バンドやろうって人間が、どうして”劇団ひまわり”なワケ?」
って呆れられた。
「うーん。なんでだろ? とりあえず」
自分でも何やってんだろうと思った。
でも、やった事は無駄じゃない。ステージング。発声法。今も赤木先生が教えてくれた事、役立ってるもん。
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