SONG-2【不運と幸運、出会いの不思議】パンデミック

Song-2アイキャッチ画像 パンデミック 強制入院のイメージで、牢獄の画像に、タイトル文字「パンデミック」と、「出会いの不思議」「不運だと思ったら幸運だったり・・」などのキーワードが書いてある
人生は予期せぬ出来事の連続

人との出会いも、出来事との出会いも、その後の人生を大きく左右する。

というのが今回の物語のテーマ。

そして、その「出会い」をどう受け止めるか。受け止め方が大事。

具体的な ドキュメンタル STORY で人生をリセット!
〜机上の空論じゃ現状を変えられない。実例からヒントを得よう〜
ボクについては プロフィール を見てね 

なんでも悪く受け止める人、起こったことにすぐ愚痴を言ったり文句を言う人にチャンスは来ない。いや、チャンスは来てるのに、それがチャンスに見えなくて文句を言っているうちに幸運を逃す。何事も前向きに受け入れると、マイナスだと思っていたことが、チャンスに化けたりする。

人生 塞翁が馬 という例えもある。

「塞翁が馬」(さいおうがうま)とは、中国のことわざ。人生の喜びや悲しみは絶えず変化し、幸運と不運が交互に訪れることを表現している。

具体的には、

中国の塞(さい、古代中国の国境地帯の要塞)に住む老人の元に、ある日突然野生の馬が逃げてきた。

馬は当時、貴重で財産価値も高かった。非常にラッキーな出来事と受け取った周りの人達は、これを幸運と見なし、老人を祝福した。しかし、その後、老人の息子がその野生の馬に乗ろうとして転倒し、重傷を負ってしまう。周囲の人々はこれを不運と見なし、老人を慰めた。

さらに、続きがある。軍隊が村にやってきて、戦争のために若者たちを徴兵しようとするが、老人の息子は重傷のために徴兵を免れた。周囲の人々は再びこれを幸運と見なし、老人を祝福する。

このように、人生の中で起こる出来事は善悪が入れ替わることを示唆しており、単純に幸運か不幸かはわからない。幸運が不運に、不運が幸運に変わることがあるということわざだ。だから、起こった出来事に一喜一憂せず。喜びも悲しみも過度に感じず、物事に対して冷静に対処することが大切だという教えが込められている。

一見、つらいこと、大変そうなこと、めんどくさそうに見えることに出くわすと嫌になる。

その気持ちは分かるけど、いつも愚痴を言ってため息をついてる人には、幸運はやってこない。不運しか見ていないからだ。そういう人に限って幸運なことが起こっても「普通のこと」として流してしまう。感謝のない人生だ。

出来事は、不幸に見えてもラッキーに変わったり。喜んでいたら、その裏にマズイことが潜んでいたりと、一筋縄ではいかないのだ。

自分が出会ったことにどう向き合うかによって未来は変わってゆく。

このことについて解説してある本がある。『仕事は楽しいかね』とうい本だ。子供にもわかる簡単な物語形式になっているので、興味ある人には一読をお勧めする。じつは、ボクはこの本を読むまで考え違いをしていた。つまり自分の計画や理想の行動を最優先してきた。何が起こってもブレないこと。計画を最優先することに重きを置いていた。
結果、なかなか実現しない夢にイライラすることが多かった。しかし、以下の本を読んで、人生に起こる偶然、出会いを取り込まないと先に進めないことが分かった。流される人生ではダメ。しかし同時に、「偶然の出会いを取り込まなければ奇跡は起きない」ことを教えてくれたのが以下の本だ。

仕事は楽しいかね

仕事は楽しいかかね?
と言う書籍の表紙画像イメージ。
目次

SONG-2 パンデミック

おやじは船乗りだった。一年中、家にはいなかった。

タンカーのエンジニアをやっていたからね。クウェートとか、あっちの方に行ってて、帰ってくるのは年に二回ぐらい。それも二週間ぐらいすると、また仕事に戻っていった。

たまに帰ってくると、外国からおみやげをたくさん買ってきた。

ニュージーランドのバター。

缶に入っててさ、缶切りでキコキコ。開けると、プーン。すごく香りがいい。

ヨーロッパのでっかい板チョコを持って船の甲板に立つ、オムツ姿のボクの写真を見たことがある。あと、ラジコンのヘリコプター。子供のボクが両手を広げても届かないほど、でかいやつ。

「うわぁ、すごいねコレ。アメリカで買ったの?」

当時、外国はアメリカしかないと思っていたから。「ううん。違うよ」って聞いてもどこの国のだったか忘れた。でも嬉しい。

「高かったんだぞ、大事にしろよな」

手渡してくれたおやじからフワッとお父さんの匂いがした。

大型タンカーの画像にテキストで Father is a Sailor と書いてある。

ヘリコプターを庭にセットして、リモコンのスイッチを入れる。操作レバーを倒すとギューン。空に吸い込まれるように上がってグラついた後、方向を変えて壁にガッシャーン! 激突。木っ端微塵。

呆然とするおやじの顔を今も覚えてる。

強制入院

おふくろは英才教育のハシリみたいに、ちっちゃいボクに習い事をさせた。

少年少女合唱団のような所に入れて歌を習わせる。NHKに出演して幕が降りた汚いセットの裏側で母親を探して泣いた憶えもある。

バスで1時間も2時間もかかるような所に絵を習いに行かせる。有名な画家の先生の絵画教室。山を2つ3つ越えて、デコボコ道。子供だもの。長くバスに乗って悪路だと気持ち悪くなる。何度も途中でバスを降りて吐いた。だから・・

母親の思惑とは違って絵が嫌いになり、小学校でも美術の成績はずっと2だったな。

あとはピアノとか。バイエルの緑か黄色まで行ったのかな。バイオリンもね、記憶がないんだけど、中学の時に押し入れからボクのちっちゃいバイオリンが出てきた。

幼稚園に通っていて。そこの園長先生がバイオリンの先生だった。地域では有名な音楽家だったらしく、幼稚園が終わったあと音楽教室もやっていた。大人の女の人がソプラノの声で歌ってるのが近所の畑まで響いてきて。怖かったな。「あ、また お化けの声がする」って思ったもんだ。

ところがある日突然、バイオリンも幼稚園も無くなっちゃったの。赤痢を出したんだ。

幼稚園の飲み水が悪かったみたいでね。幼稚園児の一人が緊急入院した。そこからバタバタっと。

水道、井戸水を使っていたから変なものが混じっちゃったみたい。新聞、TVにも取り上げられて「赤痢幼稚園」として当時の大ニュースになった。

ボクは何ともなかったんだけど、ある日 やってきたよ。

こどもがバイオリンを習っている画像

「ウー、ウー」って救急車に乗ってゴムの白衣着てマスクした怖いおじさんたち。シューって煙みたいな薬品を撒きながら近づいてくる。犬が「ワンワン」って吠えて。映画の中のシーンみたい。

怖い。何されるのか不安になって、ボクは母親にしがみついてた。

「ボク、あのおじさんたちに連れて行かれないよね?」

イヤな予感を打ち消そうと、母親に尋ねた。

「これ。この薬を飲みなさい。これを飲めば大丈夫。連れて行かれないから」

抗生物質か何かだよ、アレ。そんなもの効くわきゃあない。おふくろも声が震えていた。

やっぱり。

ボクは母親から引き離されて、オリみたいな救急車に乗せられた。後ろに小さな窓があって。鉄格子がはまってる。そこにしがみついて窓の外を見るんだけど、見慣れた景色がビュンビュン流れて飛んでいって知らない風景になって・・ 絶望と恐怖と混乱で泣くことも忘れ、町から連れ去られたんだ。

病院は脱走しないように、厳重な鎖と大きな鍵がかかっていたね。なんせ法定伝染病だから、赤痢というのは。ちっちゃい子供たちがいっぱい入れられてた。「アニー」ってミュージカル、あるじゃない?孤児院の子たちの話。あれを見ると思い出すんだよなぁ。ああいうのが子供の頃の風景。

檻から手を出すイメージ画像

毎日お尻の穴にデッカい注射器みたいなもので薬を入れられる。泣こうが叫ぼうがそういう時は看護婦さんの指示は絶対なんだ。やがて自分からお尻を差し出すように教育される。

ヤクザ映画に出てくる集団で順番にお風呂に入って、係官の指示に従って湯船に浸かる。とかね。そういうシーン見ると思い出す。ああいう環境。子供ながらにそういう体験をすると精神的に自立しちゃうんだよね。孤独は怖くない。むしろ考え事するには孤独が都合よくて友達になった。

病院に母親が見舞いに来ても会えない。本の差し入れを貰えるだけ。

あの本もさ、他の子たちは付録がいっぱい挟まった「子供用の雑誌」を貰えるのに。ボクのはハードカバーの子供の図鑑とかお堅い教育図書なわけね。他の子が羨ましいと思ったよ。あの付録欲しいなぁ、って。

歯磨きの時もね。イチゴの歯磨き粉とタオル。歯を磨いて、コップが無い。おふくろ、そういうところ抜けてて忘れちゃってんの。仕方がないから、歯を磨いたらタオルで口の中をゴシゴシ拭いて。あー、いつまでも歯磨き粉が残るな、まぁ、いいか。みたいな。

お尻の穴に薬入れられ、お風呂入って本読んでご飯食べて。その繰り返し。子供ながらの檻の中。刑務所暮らし(?)

月日は流れ、回復して退院の日がやってきた。前日のこと今でもはっきり憶えてる。

救急車のサイレンが妙に鳴ってて、うるさいんだけど「明日は退院だ」と思うと嬉しくて、ベッド周りの鉄の柵につかまってピョンピョン飛び跳ねていた。今も夢に出てくる光景。

退院の日、病院の近くの商店街の奥の中華屋でラーメンかチャーハンを食べて帰ったんだ。

こういう子供時代って、不幸だと思うでしょ?
でもね、神様はちゃあんとご褒美を用意してくれていた。大人たちが話し合って。

鹿児島のおじいちゃんの家に行くことが決まったんだよ。これで前に話したおじいちゃんとの暮らしに繋がるんだ。病気療養の意味があったんだろうなぁ。空気の綺麗な自然の中で体力回復させようって。とにかく鹿児島県いずみ市って所にあるおじいちゃんとおばあちゃんの家から幼稚園に通うことになったんだ。おふくろは東京。別々に暮らすことにした。

前にも話した通り、この頃が一番楽しかったな。自然の中でのびのびしながらおじいちゃんとおばあちゃんの愛情をたっぷり浴びて育った。ボクがオネショをしても。誰か他の大人がそれを咎めようとすると

「いや。おばあちゃんが漏らしてしまったかもしれん、最近歳でな」

なんてかばってくれたりするんだ。優しいおばあちゃん。

おばあちゃんの「よもぎ餅」が好きでね。いまだに餅が大好き。

ある時河原に降りる土手道を歩いていたらよもぎの葉っぱが一面に植っていて。

「ほら、洋ちゃん見てごらん。あのよもぎの葉っぱでよもぎ餅を作るのよ」

っておばあちゃんが笑いかけた。

「へー」って思ったボクはどうしたか?

大好きな「よもぎ餅」をボクも作ってみよう、作りたい! って思ったの。

だから次の日、よもぎの葉っぱをいっぱいむしって河原に降りて。ちょっと大きめの石の上によもぎの葉っぱを置いて、近くの小石を掴んでカンカンって叩いたんだ。緑色の汁が飛び散ってよもぎの香りがする。「おう、これだこれだ。よもぎ餅になーれ!」

よもぎたっぷりの草餅画像

カンカン、カンカン。一生懸命に叩くんだけど「よもぎ餅」にはならない。よもぎの汁が飛び散るだけ。

「おかしいな? もっと叩かなきゃダメなのか」汗をかきながらカンカンカンカン叩き続けるんだけど、ボクの好きな「よもぎ餅」は出来上がらない。どうして?

おばあちゃん、説明足りなかったね、「よもぎ餅」はよもぎの他に餅米も使うんだよね? 今ならわかるけど。その日、ボクは疲れて、よもぎの汁が飛び散った緑色の石が点々と続いてる河原を後にしたんだ。

Copyright(c)2024. Rock’N Roll Kaz. all right reserved.

幸運と不運について AI と話してみた

ここからは、Chat Gpt と議論した内容を抜粋して掲載しています。

AI

お話を読ませていただきました。運と不運について話しましょう。

この物語からは、人生には幸運と不運が交互に訪れることがあるということが感じられます。お父さんが船乗りで長期間家にいなかったり、赤痢に罹って入院したり、鹿児島のおじいちゃんとおばあちゃんの家での素晴らしい経験など、幸運と不運が混在しています。
「塞翁が馬」の教えによれば、最初は幸運に見えることも後には不運に繋がることがあり、逆に最初は不運に見えることも後には幸運に繋がることがあるとされます。

例えば、お父さんが長期間家を空けていることは、家族との時間が少なくなる不運に感じることができますが、その代わりに外国からのおみやげや貴重な経験を得ることもありました。また、赤痢に罹ったことは苦しい経験だったかもしれませんが、その療養をきっかけに鹿児島でおじいちゃんとおばあちゃんの愛情深い生活を経験できたことも不運からの幸運といえるでしょう。

ロックンロールkaz

そうだね。

「仕事は楽しいかね」と言うアメリカの本があって、そこには計画を立てるだけではダメ。偶然の出会いを取り込まないと未来が開けない、という内容が書いてある。

じつは、ボクはこの本を読むまで考え違いをしていた。つまり自分の計画や理想の行動を最優先してきた。何が起こってもブレないこと。計画を最優先することに重きを置いていた。 結果、なかなか実現しない夢にイライラすることが多かった。しかし、「仕事は楽しいかね」の本を読んで、人生に起こる偶然、出会いを取り込まないと先に進めないことが分かった。流される人生ではダメ。しかし同時に、「偶然の出会いを取り込まなければ奇跡は起きない」ことを教えてくれたのがこの本だ。

AI

素晴らしい気づきですね!

「仕事は楽しいかね」という本から得た教訓は非常に重要なものです。計画や理想を持つことは大切ですが、同時に偶然の出会いや新たな可能性を受け入れる柔軟性も重要だということが分かりましたね。

人生には予測不可能な出来事が起こります。予定通りにいかないことも多々ありますが、それが全て悪いことではなく、逆に新しい道や素晴らしい機会を生むこともあります。偶然の出会いや状況を受け入れることで、未来に向けての可能性が広がります。

計画を立てることは大切ですが、その中でも柔軟性を持ち、周囲の変化に適応することで、未来に向けた前進がよりスムーズになることでしょう。物事が予定通りに進まなかったり、新しい出会いや機会に対応することで、成長や発展のチャンスが訪れるかもしれません。

人生には多くの要素が絡み合っており、計画だけでは全てを把握することは難しいです。柔軟性を持ちながら、新たな出会いや偶然にも目を向けることで、人生の豊かさと可能性をさらに広げることができるでしょう。

ロックンロールkaz

ありがとう。

ボクは、頑固なところがあって信念を曲げるのが嫌だった。
だから、偶然の、結構いい出会いやラッキーな話や誘いを受けることが多かったのに、それを活かすことができなかったんだ。

「それは自分の計画とは違う。そんな話には流されたくない」と思って、せっかくの誘いを断ることが多かった。

でも、今振り返ってみれば「あの時の話を受けていれば、もっと早く自分のやりたいことに辿り着いたのに」と思うことが多い。偶然と自分の計画とは、遠くの方でつながってる。

スティーブ・ジョブズが言うように 全く関係ないと思っていた 点 が、将来 線 になる、みたいなね。

スティーブ・ジョブズ は、文字のデザインだったけ? みたいなことに学生時代に熱中した。一見関係ないけど、それが Mac というコンピューターの文字の綺麗さにつながっている。

何がどこでつながるかわからない。
もっと言えば、幸運も不運も、将来にどうつながっていくかわからない。神様は、人の人生にいろんな「ドッキリ」を仕掛けてくる。試してるんだよ、我々がどう反応するかを。
だからこそ、悲観的にならず 人や物との出会いを 幸運、不運との出会いを楽しむまで行かなくても「この出会いは、どんな意味があるんだろう?」と味わって欲しいんだ。

ボクは若い時、それがうまくできずに遠回りした。
だからあなたには、偶然を受け入れて楽しんで欲しいんだ。もちろん何も考えず偶然頼りの「流された人生」じゃダメだ。未来の計画を立てた上で、偶然の出会いが来たら吟味して、詐欺みたいな話は拒否(世の中、悪いやつも多いから気をつけて!)

でも良い話だと思ったら飛び込む勇気。受け入れ楽しんで見る。
幸運な人は、それをやっているんだよ。

今日も読んでくれてありがとう。
良い1日を!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次