考え違いに気がつこう
いつもため息をついている人がいる。
何をやってもうまくいかない。「自分ばっかり不運な気がする。神様は不公平だ」
そう思っている人は、「最初は誰でも。ほとんどの人が、うまくいかない」ことを知らない。
人が何かを始める。夢を描いて挑戦する。
そして何かの行動をとると・・・ ほぼ高確率で失敗する。うまくいかない。
これは事実だ。
最初からうまくいくことなんて少ない。たいてい失敗する。
そして最初に話した「ため息ばかりつく人」と同じ境遇に陥る。
しかし、ここから「負けを認めて敗北を決定させる人」と「どうやったらうまくいくか解決策を求め、行動する人」との結果が違ってくる。
この言い方は好きではないが「成功するまでやればいつか成功する」と言うのは50%ぐらいはその通りだ。でも、50%は「そんなことあるわけねーじゃん。やり方間違ってたら永遠に成功に到達できないし、そもそも経済力、年齢、置かれた環境によっても成功確率が違ってくるから 世の中、不公平なのは確かだ」
確かだけれど。毎回、毎回 1回トライしてうまくいかないとやめる「癖」がついている人には「失望が当たり前の人生」になっている。「どーせうまくいきっこない」というマインドになっちゃってるから「この世はため息を吐く場所」になっている。
でもね。宝を探して掘っていて、諦めて。
諦めた直後に「別の人が宝を掘り当てる」なんてことは、よくあることだよ。
しかも、探していた宝は あなたが掘っていたほんの1メートル先に埋まっていた。あと、ちょっと掘り進めていれば・・」
と地団駄踏んで悔しい思いをしたことはないだろうか?
「自分の宝を横取りされた」気分になる。
諦めるのが早かったんだね。
でも、諦めずにズーーっと掘り続けてるのに成功しない人もいる。
宝が埋まっている方向と真逆の方向に掘っている。本人は、それを努力と思っているけれど、間違った努力は徒労に過ぎない。行動を見直し、修正をかけながら掘り進めることが大事だ。
チャンスはベストな状態ではやってこない
大会を前にしたアスリート。
試験に臨む受験生。
ベストな状態でチャレンジしたい気持ちはわかるけど。たいてい運命の日には何かが起こる。体調不良、怪我、モチベーション低下、家族や友人の病気により「気持ちを集中できない」出来事。
これらもありがちなこと。受け入れよう。ボクも大きなオーディションの前に足を折ったけれど なんとか頑張って勝ち抜いた。
およそ有名なアスリートはベストに持っていくよう「普段から心がけて生活」しているが、それでも事件や事故が起こって邪魔をされる。
でも、一流の勝負師は「ベストじゃなくて当たり前」というマインドがある。そう思っていれば、少々のトラブルがあっても優勝する。ベストな状態で臨めることの方が少ない、と腹を括っているから。
そういうもんだ、と思っている人は強い。「チャンスを掴める」
整理すると、
1)人が何かを始める。夢を描いて挑戦すると ほぼ高確率で失敗する。
2)「成功するまでやればいつか成功する」と言うのは50%ぐらいはその通りだ。でも、50%は 経済力、年齢、置かれた環境によって成功確率が違ってくる。 世の中、不公平だ。
3)毎回、1回トライしてうまくいかないとやめる「癖」がついている人には「失望が当たり前の人生」になっている。
4)探していた宝が、 掘っていたほんの1メートル先に埋まっていた。あと、ちょっと掘り進めていれば・・」と地団駄踏んで悔しい思いをしたことがある人。「自分の宝を横取りされた」気分になる人の特徴は「諦めるのが早い」
5)諦めずにズーーっと掘り続けてるのに成功しない人もいる。宝が埋まっている方向と真逆の方向に掘っている。間違った努力は徒労に過ぎない。
6)チャンスはベストな状態ではやってこない。運命の日には何かが起こる。「少々のトラブルはつきもの」と腹を括れば、チャンスを逃さなくなる。
これが、幸運を掴む秘訣だ。
ため息を捨てて、こういうマインドで「楽しくチャレンジ」していれば、いつかきっとうまくいく。
さて、今回のストーリーは、バンド解散の危機に陥りながら、もうちょっと先に進んだら宝が埋まっていた、というリアルなお話です。
具体的なストーリーで考えるヒントをつかもう。
ドキュメンタル STORY で人生をリセット!
〜机上の空論じゃ現状を変えられない。実例からヒントを得よう〜
ボクについては プロフィールを見てね
SONG-58 企画ライブ「金網越しの DOWN TOWN 」
新しいドラマー がメンバーに加わって。
再び楽しい日々が復活したんだ。 横浜の・・赤レンガ倉庫で写真撮影したり、ポスター作ったりね。
ストリートにも復帰した。沢山のファンが待ち構えていてくれて。
「パン・パン・パーン !!」
スゴイ爆竹の音が鳴り響いて、ドキッとして振り返るとそこら辺の道路で また大量の火薬が爆発してさ、
「何だよ、ウッセーな!」
ちょっとムッ、と来たんだけど よく見てみればファンの連中の仕業なの。 せいいっぱいの、歓迎の挨拶だったんだよね、彼らなりの。
新しいドラマーは、ファンにも スッと受け入れられた。
トミノスケを贔屓(ひいき)にしてくれていた連中も、大体はメンバーチェンジに理解を示してくれて。そりゃあ、少しは離れてくファンもいたものの、大方 新しいバンドを応援しよう、って気持ちを切り替えてくれたんだ。
サウンドがロックっぽく変化して、この辺りから「バンドやってる」っていうファンも増えてきた。音楽やってる連中にもアピール出来るバンドになってきたってことだろうな。
毎週日曜日はストリート。ライブハウスは クロコダイルのレギュラー・バンドになっていたし、その他にも沢山のライブハウスに出演した。
どこ行っても超満員。チケット・ノルマなんて関係なくなったんだ。むしろ「いくらのギャラもらってやるか」の世界になってた。
「お客さんたくさん呼べるから、このぐらいのギャラください」
みたいな交渉するのが当たり前になってた。
スタッフからマネージャーになるヤツもいて。そのマネージャーがギャラの交渉するようになってたんだ。たくさん ギャラもらったよ、いっつも。
地方のライブハウスにツアーに行ったり、イベントのゲストに呼ばれたり。雑誌にもしょっちゅう載ってたしね。
アマチュアだけど、勢いがあった。
でもそのうち・・・
あのさ、グループに大事な物は何だと思う?
それは、「感性が同じ」ってことだ。
どんなバンドが好きで、どんなサウンドにしびれるか。
ある物を見て、いいと思うか 悪いと思うか?
勿論、いろんな意見があっていい。反対の意見だって飛び出すだろう。
でも、根本。ほんっ、とのスタートラインは同じじゃないと。
そこの所で違うベクトルを向いている者同士は、やはり いくら努力しても苦しいだろうね。
経営者と組合の幹部は、対立せざるを得ないだろ?
ロックンロール ・ジーニアスっていうのは、そういうグループだったの。別のベクトルの者同士。
もともと 音楽の好みが同じで集まった訳じゃない。
それどころか、ずっと音楽をやってた連中と、そんなのまったく知らなかった「芝居志向の人間たち」が、ある日突然くっついて、次の日から わけもわからず激しく活動していた。
気がついたらブームが起こり、たくさんのファンに囲まれ・・・。
状況の方が、五歩も十歩も先を行っちゃってる。
まあ、全ての犯人は ボクだよ。
ボクが自分のイメージを形にするために、無理をしたんだ。
でも、その無理がたたって ガタがきて、方々にほころびが見えはじめた。
そんなバンドを、それでも再びまとめようと・・変わったイベントライブを企画した。
「 金網越しの DOWN TOWN 」というエンターテイメントのライブショー。
六本木の「アトリエ フォンティーヌ」っていう芝居小屋で、ステージに金網を張りめぐらし、前面にバイクをセットし、マイクを取り付ける。
一階と二階にステージを作り、立体的に見せて。
照明にも凝ったりしてね。
そう、昔、ボクが ロックンロール・ミュージカルの劇団にいて。もっとバンドに近い形でやってみたい、と思っていた構想を実現させたんだ。ミュージカルじゃなくて、芝居っぽいけどバンド。
それをやれば、演劇出身のヤツらは昔を思い出して楽しくなるだろうし、バンドのヤツにも「エンターテインメントの大事さ」をわかって欲しかった。音楽出身、芝居出身の両方のメンバーに「もう1度、心を一つにして頑張ろうよ」っていう ボクからのメッセージだった。
「えー、こんなのバンドじゃないよ」
メンバーは、あまり乗り気じゃない奴もいたけど、ファンには これが予想以上にウケた。
「楽しい」
「すっごく新鮮!」
って、盛り上がった。
バンド内部の軋轢(あつれき)を感じているのか、なんとなく元気が無かったファンに 再び熱狂が戻ったんだ。
アメリカの映画館でグリースを見て、サンフランシスコの路上ですごいバンドと出会い、音楽の世界に引き込まれ。日本でロックンロール ・ミュージカルの劇団にしびれて、でも本当はバンドがやりたくて。
自分なりのロックバンド。エンターテイメントのショーを模索しながら、何度も失敗して。やっと。
自分の頭の中だけにあったイメージを形にすることが出来た。そういうステージだったんだ。
あの 企画ライブ は。
テクニック的にもね、もう単なる「おまつりバンド」とは言わせない。
その証拠に、バンドやってる奴らも ボクたちに心酔してる奴、多かった。
知り合いのバンドの奴が、メンバーの家に遊びに行ったんだって。そうしたら、ジーニアスのポスターが貼ってあって。
「今、俺 このバンドに夢中なんだ。しばらく自分のバンド活動をやる気が起きない。ジーニアスのことしか、頭にないから」
って言われたって。
「自分たちのバンド活動まで邪魔しないで下さいよ」
って笑ってたけど、冗談ヌきで それぐらいの影響力があった。友達のライブ見に、どっかのライブハウスに出向くと、店のスタッフも 見に来てる客からも、
「ジーニアスのカズさんですよね?」
って言われる。一緒に行った友達は苦笑いしてボクを見る。アンダーグラウンドの世界だったけど、知る人ぞ知るバンドになってたんだ。ロックンロール ・ジーニアスは。
音的にもパフォーマンス的にも充実していた時に、あの「アトリエ フォンティーヌ」のライブだろ?
そりゃあ 受けるさ。外人もたくさん見に来てた。大盛況。
そういうライブだったわけ。「 金網越しの DOWN TOWN 」ライブは。
そんな感じで 客席の雰囲気は最高だったんだけど、ステージ裏は正反対の空気に包まれていたな。
マコト・クレイジーは別の楽屋を作っちゃって、もう他のメンバーとは口も聞かない。あの人懐っこかった男がさ、今や「イングウェイ マルムスティーン」って感じで、わがままミュージシャンに徹していた。
速弾きヒカルは いつの間にか そんなマコトのコピーみたいになっていたし。
トモコ・チビ太は二人のギターリストに責められて、いつもびくびく 暗い表情をしていた。
いつの間に、こんなバンドになっていたんだろう?
技術がピークに達した頃、内部の人間関係が最悪になる――――バンドには ありがちのことだね。
ボクの経験では、バンドの旬は三年。三年だと思う。
三年の間に、バンドカラーを作り上げて、勝負出来れば オイシイ話にめぐり合い易い。
メンバーの気持ち的にも、そのぐらいが 一番シックリしてて、お互いのサウンドを認め合ってて楽しいし、ね。
ボクたちは この時、もう四年が過ぎようとしていた。
何にも無い所から作り上げてきたから、当然といえば当然だけど、時間がかかり過ぎたんだ。
四年というのは・・・・・特にお互いの好みがチグハグなバンドには、ヤバい年月だった。
ファンにあれほど支持されたライブも、メンバーにとっては「こなさなきゃいけない ノルマ」だと思われていたようでね。文句がファンの間を通って、ボクの耳に入ってくる。
聞きたくないのにさ、誰かが教えにくる。
「ああ、もう一度ハッピーになろうとしてやった事が 裏目に出てしまった・・・・」
ボクもさすがに落ち込んじゃってさ、終わってから
「もう こんな思いはイヤだな。いっそ解散するか」
そう思いはじめていた。
皆の気持ち的にもね、そっちの方へ流れていってたんだよね。
ところが。
運命というものは皮肉なもので。
全ての憂鬱を吹き飛ばすような、スゴいチャンスがやってきたんだ。
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