SONG-59【有名ミュージシャンとの出会い】「SHOGUN」のMr.ケーシー・ランキン

SONG-59main-visual-Meeting-famous-musicians タイトル 「SONG-59 SHOGUN の Mr.ケーシー・ランキン」 ギターを持ったミュージシャンのシルエット画像。画像の上に ?マーク。 テキストメッセージ 「有名ミュージシャンとの出会い」
Mr. ケーシー・ランキンについて

今回の物語のキーマンについて軽く紹介しておこう。

Casey Rankin

出身地:アメリカ合衆国カンザス州

職業:ミュージシャン。音楽プロデューサー。作詞家、作曲家、アレンジャー

担当楽器:ピアノ、ギター、ベース、シンガー

アメリカで プロ・ミュージシャンとしてのキャリアをスタート。キャロルキングなどとも交流がある。

1971年から日本に定住し、日本女性と結婚。一男一女を授かり、息子もプロ・ミュージシャン。

日本での音楽活動は、各企業の CMソング を作るところからスタートする。CMソングは何百曲も作り アサヒ缶コーヒー「WONDA」のCMソングなど多くの人が耳にしたものも多数。普段何気なく耳にしているCM曲も、ケーシー作であるものが多い。

Sound source production site

バンド活動としては、

1974年 SHORT HOPE を結成するところから日本でのキャリアをスタート。

1979年 テレビドラマ『俺たちは天使だ!』の主題歌「男達のメロディー」を作曲。

50万枚を超えるヒットとなる。

そのドラマで、同じように音楽担当をしていた スタジオ・ミュージシャン仲間の 芳野藤丸、大谷和夫、長岡道夫らと SHŌGUN を結成。活動を開始する。

同年、松田優作主演の『探偵物語』テーマ曲「BAD CITY」(ケーシー作詞・作曲)を発表。SHŌGUNは一躍人気バンドとなり、その中でもヒット曲の作曲を担当、フロントマンとしても活躍したケーシーの評価を高めた。SHŌGUN自体は2年に満たず活動停止となるが、既に音楽家として評価を得ていたケーシーは映画やアニメの音楽、CM曲、ゲーム曲の制作、プロデュースなど活動の幅を広げる。

2009年 1月 没。享年62歳

このケーシー・ランキン氏 とロックンロール・ジーニアス は、今回のお話で出会うことになる。どうやって? そして どうなる?

詳細は本編で。


具体的なストーリーで考えるヒントをつかもう。

ドキュメンタル STORY で人生をリセット!
〜机上の空論じゃ現状を変えられない。実例からヒントを得よう〜

ボクについては プロフィールを見てね

目次

SONG-59 「SHOGUN」のMr.ケーシー・ランキン

ついに激戦突破!

軽い気持ちだった。

そう、それは あまりにも軽い気持ちで応募したんだ。

去年、地区大会で敗れた ヤマハの「バンド エクスプロージョン」

『 金網越しの DOWN TOWN 』LIVEが終わって、バンドが再び活気づく目標が欲しかった。

Try the contest again

渋谷の道玄坂を昇った所に、ヤマハの渋谷店があってね。そこでコンテストの用紙を貰って応募したんだ。

「今年はM楽器からは出ない」

って決めてた。

まったく知り合いのいない所からはじめて、自分たちがどこまで通用するのか 試したかったんだよ。

そうだ、申し込み用紙の年齢を書き込む所に 「ウソ」を書いたの。

一番若いヤスコ・クイーンが二十二歳の時だから・・・・平均年齢は二十代の半ばを超えていた。

特に ボクとレイ・ギャングは、ミソジ寸前! ギリギリで二十代を保っていたからね。コンテストに出るには、少し歳がヤバイと思ったの。

age falsification resume

「年齢なんて関係ねぇよ。いいものはいいんだ」

そう信じてる。正論でしょ?

でも この国のシステムは、どうもそうじゃないらしい。

「そんな事ないよ」って表面上は言うよね。でも、現実は・・・・・そういう経験してる人も

多いと思うけど?

ハッキリ言うけど、若くなきゃ、子供じゃなきゃダメなんだよ。世界的にも「若さこそが最大の武器」みたいな扱われ方、するじゃない? 特に顕著だよ、日本は。

大人達は、子供に合わせて物を作り、リサーチし、子供に買って貰うように努力する。

若くなきゃ。若く見せなきゃ。歳とっても美魔女になって。子供産んでるように見えない、って言われたいし。

馬鹿なバンドマンは「オヤジバンド」とか言って、自分をギャグにして若いヤツのご機嫌取ってこびへつらおうとするし。

なんとなく そういう空気を肌で感じていたから。

メンバー全員が五歳ぐらいづつ サバをよんで、平均二十三~二十四歳のバンドが出来上がった。

「フフ・・・・面白いじゃん、これ」

速弾きヒカル が笑いながら言ったけど、ヤスコ・クイーンなんかは、

「ひどぉーい。あたしと他のメンバー、ほとんど年の差無いじゃないですかぁ」

年齢が一番下だけど、そういうことを感じさせない凄いプレイをする。それがクイーンの誇りだった訳だから。あいつは納得しない顔をして、フグみたいに膨れてたよ。

A girl who puffs out her cheeks in anger

ヤマハの渋谷店っていうのは、ヤマハ直営の店でね、すごく力があった。

だから、店の代表として四バンドか五バンドぐらいを毎年、地区大会に送り込んでいたんだ。

その分、出場バンドも多くて、店大会の予選から本選まで 何日にも渡ってオーディションが繰り返された。何百バンドも応募してくるから厳しく「ふるい」にかけられる。

ハードルが高かったんだ。

でも。

ボクたちは、そのことごとくを すんなり通過した。

当たり前だ。今まで何度となく、悔しい思いをして 自分達の足りない部分を突き付けられ、それを埋めてきたんだ。

「今さら こんな所でウダウダしてられるか」

そんな自信とプライドがあったね。あり余る程のプライド。

店大会はもう 去年経験した通過点にすぎない。今、目前の目標は まず エピキュラスの地区大会で優勝し、中野サンプラザに出場すること。

win and raise the trophy

「店大会なんて、ブッちぎりで代表になってやる」

心の底から、そう思っていた。実力を信じていた。去年、ボクたちが衝撃を受けた、M楽器の代表バンドクラスが出てきても なぎたおして進むだけだ。そのぐらい自信がある。

ボクたちのライブ審査が終わってトイレに行くでしょう? 立ちションしてると、他のバンドが隣に来て、

「いやあ。カッコ良かったですよ。凄いなあ」

って必ずほめてくる。

「いやあ、それ程でもないよ。お互いガンバロウ」

そう言いながら、確実な手応えを感じはじめていた。

Mr.ケーシー・ランキン

その店大会の審査員をしていたのが、「ケーシー・ランキン」さんだったの。

昔、松田優作の「探偵物語」っていうドラマがあって。

その主題歌を ケーシーさんのいた「SHOGUN」っていうバンドが歌っていたんだ。

Casey Rankin Photo-砂漠
Mr. Casey Rankin

ボク、その時 まだ子供だったけど、強い衝撃を受けた。

それまでの日本に無かった、外国のフレーバーを持った 聞いた事もないようなサウンド。ショーグン。

「バッド シティ  バッ バッ シティ・・・・」

流行ったでしょ?

そのケーシーさんから 話しかけられたんだ。休憩時間に。

「君タチ、イイネエ。長イノ? バンド」

非常にフランクな人でさ、気さくなんだけど オーラが出てる。

そこに居るだけで、雰囲気になっちゃうんだよ。

「ショ、ショートホープのケーシー・ランキン さんですよね?」

ボクと話していた ケーシーさんの注意を引こうと、横から別のバンドマンが割り込んできた。マニアックなバンド名を差し込んでくる。昔、組んでたバンドらしい。ケーシーさんと言えば「ショーグン」の方が有名だろうに。

「オーウ、昔話ネェ。ソンナ バンド モ アリマシタ」

ケーシーさんは、話しかけてきたバンドマンに笑顔を向けると、またボクの方を向き直り。ボクの肩を叩いて「 いいバンドだ」って褒めてくれるの。

他のバンドマンも、何人も遠巻きにしながら 羨ましそうに。話したそうにしてるんだけど、ケーシーさんは、ボクにいろいろ聞いてくる。夢のような時間が過ぎた。

「うわぁ、あのSHOGUNの ケーシーさんに話しかけられた」

って感じで、その時は 何話したかよく覚えてないんだ。でもすごく楽しかった。

実際には、短い時間だと思うけどね。

A man who is happy to talk to the person he admires

で、ボク達は、店の代表に選ばれたの。

店側としては、他に押しているバンドとかがいて。最初 あまり歓迎ムードじゃなかった。でも実力の世界だから。勝ち残って地区大会に行くことになった。

今年こそ、昨年の雪辱をはらしたい。

ヤマハの渋谷店の人たち。

店代表メンバーを集めて、パーティーを開いてくれて。

えらく盛大に送り出してくれたんだよ。

enjoy the party

人生って、追い風を受けて すごく順調な時ってあるじゃない?

この時期のボクたちがそうだった。

何だか 負ける気がしないんだ。

エピキュラス大会、何日にも分かれて 細かく振るい落とされていく。実力も個性もある いいバンドがどんどん姿を消していく中で、ジーニアスは勝ち残っていた。

去年の屈辱的敗北のあと、一流のミュージシャンたちのコピーをすごくやって。吸収していたからね。ロックのフィーリングってヤツを。

それに「 金網越しの DOWN TOWN 」ライブで、ファン自体も盛り上がっていて、客席で応援してくれる雰囲気もすごくいい。渋谷店の代表も振り落とされ どんどん姿を消し・・とうとう 残ったのは ロックンロール・ジーニアスだけになった。

店側の期待も高まってきて・・・・

「プロのミュージシャンを呼んで、バンドのクリニックを受けさせてあげる」

って話になったんだ。有名なプロのミュージシャンのアドバイスをもらうことによって、さらにバンドが強化する。アマチュアな部分がけずれて、隙がなくなるんだ。

「サザン オールスターズも、そうやって“勝手にシンドバット”を完成させ、デビューしていったのよ」

「へー、そうなんですか?」

レイ・ギャングが目を丸くして驚いた。

Ray-Gang-Bass
ご機嫌な Ray Gang

「大抵の人は呼べると思うけど、誰がいい?」

ヤマハの渋谷店のスタッフが「業界人の顔をして」言った。

有名人に会えるかと思ったら メンバー、ざわついちゃって。

「そうですねぇ・・・・誰がいい?」

みんながお互いの顔を見て答えを探していると、トモコ・チビ太が

「どうせなら有名な人に会おうよ。サインもらってさ、友達になって」 

と言ったから

「ミーハーか!」

と全員から突っ込まれた。

他のメンバーが考えている時、ボクの答えは もう決まっていた。

「無理かも知れないけど、又 ケーシーさんにお願いできませんか?」

って言ったの。どうしても もう一度、会いたい。あの人の音楽センスを吸収したい。

beg

連絡してくれて、再会したよ。

「ヤア、ジーニアス。キミタチ、行クトオモッタヨ。マダマダ 行ケルヨ。ブドウカンマデネ」

ケーシー・ランキンさんの言葉に、ボクたちは アハハって笑った。

「ケーシーさん、そりゃ いくらなんでも無理ですよ。武道館なんて。オレたちは サンプラ(中野サンプラザ)まで行ければ、今年の目標はクリアですから」

ボクの言葉に、みんな和やかに笑ったんだけど、

「イヤ、ジーニアス ナラ ブドウカン行クヨ」

って、しつこいの。

まさかな、とは思ったんだけど。

「ジャ、チョット 音キカセテ」

エントリー曲を演奏した。

BAND GIG

「ウーン。イーンジャ ナァーイ ノー?」

ケーシーさんがおどけて言ったから、皆の緊張もほぐれてさ。

「アマリ 直ストコロハ ナイネ。デモ、コーラスハ ヘタダナ。ロックバンド ハ コーラスヲ大事ニシナイ人ガ多イケド、ハーモニー ハ 大事ィヨ」

ハモリを教えてもらったり。細かい所もチェックしたけど、十分ぐらいでクリニックは終わっちゃった。

二時間ぐらいスタジオを取ってあったからね、時間 すごく余っちゃって。話をしてたんだけど、

「オリジナル、タクサン アルノ?聞カセテヨ」

ってことになった。

「コレカラ ボク ダケノ タメノ LIVEネ」

ケーシーさんは ガガガガ、とパイプイスを引きずって スタジオの真ん中に置いて、そこにどっかりと腰を下ろした。

「ギャイーン」

「ジャーン、ドス ドス」

スペシャルな観客のためのコンサートがはじまったんだ。

ロックンロール・ジーニアスというバンドのGIG風景。

ボクたちは、山ほどある曲を演奏した。オリジナルを次から次から聞かせた。

結成してから、何百というステージをこなし、何万という人の足を止めてきた。

失望し、立ち直り、希望に向かって走り、又 失望し、立ち直る。

そんな暮らしの中で手に入れた ボクたちのサウンドは、果たしてケーシーさんの心にどう響くのか?

うねるグルーブに乗って、自然に歌える。

心地よい緊張感。

サウンドが時を支配し、時は駆け足で過ぎていく―――

「・・・・・・・・」

「フーウ。スゴいジャナイ。マトマッテルヨ。結成シテドレグライ?」

たった一人のためのコンサートが終わった後、ケーシーさんは胸いっぱいに溜まった 何かを吐き出すように質問した。

「・・・・アー、ヤッパリ・・・ソレグライ ヤルト 音がカタマルネ・・・・スタジオモ アルノ?  へー・・・・モウ ドッカカラ オ呼ビ カカッテル?」

レコード会社が決まっているか? っていう意味だろう。

music house

「いえ。まだ ぜんぜん。オレたち 業界の人たちには、あまり好かれないバンドみたいで」

ボクは 本音を言ったんだけど、アハハと大声で笑われて。ソンナ コト ナイデショ、と言った後 少し真面目な顔になり、

「ジャ、モシヨカッタラ、ウチ クル?」

ケーシーさんは、レコーディング プロデューサーもやっていて、自宅にスタジオと音楽事務所を持ってるんだって。

「コンテストが 全テ終ワッタラ、ウチに遊ビニオイデ。ソコデ モシ 良カッタラ 委任状契約ヲ交ワシマショウ」

委任状契約ーー

つまり、ケーシーさんのプロデュースで デモを作り、レコード会社を決めてデビューさせるっていう契約ね。

「ウワァー」

って皆、天にも昇る気持ちだよ。まだオーディションの途中なのに、スカウトされて。しかもプロデューサーは、あの ケーシー ランキン。

喜びに満ち溢れ、空に向かってジャンプし、踊る女性の画像。

「やったー、ついにここまで来た」

マコト・クレイジーが、うめくようにつぶやいた。

最近 ちぐはぐだったメンバーの気持ちも、一気にまとまったんだ。

そうして 運命の日は、やってきた。

Mr.Casey Rankin & Ray Gang 1997年ごろ
Mr.Casey Rankin & Ray Gang 1997年ごろ
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