SONG-62【音楽コンテストで優勝すると、どうなるか?】グランプリ!

SONG-62main-visual-Grand Prix タイトル「SONG-62 グランプリ!」 音楽コンテストで優勝したバンドマン達の誇らしげな画像とイラスト。
最後の難関

心の隙

栄光をつかもうと努力する人は多い。

この時期、ボクも もうすぐ「夢に手が届く」場所まで来た。あと一押し。

この時のことを、ボクは一生忘れない。胸に刻み込んでいることがある。

油断したんだ。

そして すべてを失った。

hings go wrong

勝って兜の緒を締めよ

という諺があるよね?

ところが 人間は弱い。本当に弱い生き物だ。

1本の細い線を描いて、その上を歩くのは簡単だろ? でも、同じぐらいの幅の「崖の上を歩け」と言われたら震える。歩けない。落ちてしまう。

ボクの心の弱さ。それは「慢心」だった。

栄光を掴む直前に現れる「最後の難関」心の隙。変なゆとり。

後悔したって取り戻せない ボクの「やらかし」を見て欲しい。そして反面教師として理解して欲しいんだ。

ゴールが見えても、最後まで気を抜くな。驕り高ぶるな。気を引き締めて「ベストな状態」をキープし続けるんだ。詳細は本編で 要 確認。


具体的なストーリーで考えるヒントをつかもう。

ドキュメンタル STORY で人生をリセット!
〜机上の空論じゃ現状を変えられない。実例からヒントを得よう〜

ボクについては プロフィールを見てね

I took a chance
目次

SONG-62 グランプリ!

エントリー曲

話を 中野サンプラザに戻そう。

コンテストの順番、一番最後だったからさ、待って、待って、待ちくたびれて やっと。順番がきて。

「ドッカーン!」

派手にぶちかましてやった。

実はボク、何日か前のライブ・パフォーマンスでスピーカーから飛び降りて。この時、左足のカカトにひびが入って、ステージどころじゃないんだけどさ。そんなこと言ってらんない。ここまで来たら、関係ないよ。

heel fracture

大事な時ってのは、常に「万全ではいられない。何かが起こる」

何かが起こって当たり前、というタフさがなけりゃ 栄光をつかめない。そういうものだよ。

そうだ、曲のことについて話そう。

エントリー曲。エピキュラスの地方選抜大会までは 2曲 演奏できた。

この時期のロックンロール・ジーニアスの代表曲は 

オレは・・女が口説けない

っていう曲だ。

この曲で 店大会、ブロック大会、地区決勝 と勝ち進んできた。

この曲は、ボクがまだ「芝居のステージ」をやっている頃に作った歌詞で、当時は別のメロディが付いていた。

それを このバンドが出来た当初、マコト・クレイジー が

「もっと ロックっぽい リフ の曲にした方が ノルね。もっとぜんぜん カッコよくなるよ」

と言って作り直してくれたんだ。

原宿の歩行天 パフォーマンスに合うように 仰々しく派手な ハードロック展開アレンジも施してある。お客の反応を見ながら何度か修正を加えて、この曲をやればファンも一見のお客さんも「ニヤリ」と笑って踊り出す、という曲に仕上がった。当時「やればウケる」鉄板の ロックンロール・ジーニアス 代表曲 だった。

Rock-Guitarist

歌詞は ちょっと・・若気の至りで恥ずかしいんだけど。

まぁ、歌詞はともかく ノリがいいし、アクション決められるし、面白いし人気があった。

でもね。ボクは判断ミスをしたんだ。この判断ミスが のちのち大きなミスへと繋がっていった。

エントリー曲。

エピキュラスまでは 2曲 演奏できた。

でも、中野サンプラザ からは 1曲に絞るように言われたんだ。

いよいよ この大会での 優勝曲 になり、ヤマハの歴代の優勝者 たちは その「優勝曲」でメジャー・デビュー していったわけだから。選曲は 超重要 事項 だった。

素直に 「オレは・・女が口説けない」で最後まで勝負するべきだった。そうすれば あんなことも起こらなかったかも・・

魔が刺した。

「オレは・・女が口説けない」は、もう目をつぶってても演奏できる。歌える。安全すぎるから、もうちょっと冒険するか、なんてアホな余裕かましちゃったんだよな。

成功を目指す人、みんな聞いて!

これが「心に隙が生まれた瞬間」だよ。このほころびが とんでもない失敗を呼び寄せる。


Yudan, kokoro no suki
英語
Carelessness, gap in heart

あの時、ボクたちは本当に バンドが演奏力、パフォーマンス共に充実して 誰が見ても飛び抜けたバンドになってた。だから思い上がっていたのかも知れない。「ちょっとぐらい冒険したって、オレたちは勝ち上がる」むしろ 冒険してスリルを味わってみたい、なんてね。

時間を巻き戻せたら、あの時の自分に「調子に乗るな!」って ゲンコツの1つも食らわせてやりたい。

なぜ、あの曲で最後まで押し通さなかったの?っていろんな人から言われた。

それは、新しく入ったドラマーのやる気を上げるためもあった。

トミノスケが辞めて入ったドラマー。一年ぐらい経ったけど、バンド内のゴタゴタを経験して「思ってたのと違う」とバンドに疑問を持っていた時期もあったと思う。

だからさ、もう1つのエントリー曲。新しいドラマーが作った 曲で、最後は勝負する、って言えば喜ぶかな、と。

コンテスト前にやったイベント「金網越しのダウンタウン」っていうライブイベントのテーマ曲として あいつが作った曲をやれば、ドラマーのやる気も さらにブーストされ、メンバーが強固になるかと思った。

判断ミス。これは大きな「心の隙」油断だった。慣れない曲は、後のステージで大きなミスを呼んだ。そして新しいドラマーにも、勘違いさせちゃった。

「俺の曲でコンテストを勝ち抜いた」って思わせちゃったことだ。

もっとも これは全て、後々の「答え合わせ」でわかること。しばらくは「無敵状態が続く」ので その後 あんなことになるなんて誰も予想しなかった。予想できるわけがない。

神様じゃなきゃ書けないよ、あんな ブッ飛んだ 物語は・・・

コンテストの勢いを牽引していたのは、ずっと「オレは・・女が口説けない」だった。その勢いは、止めてはいけなかった。

絶対に。

Failure caused by a gap in one's heart
Failure caused by a gap in one’s heart

1988年 6月 中野サンプラザーー

ステージに出た。ライトがギラギラ当たって眩しい。前を見るとーー

ど迫力。客席が壁みたいに迫ってきて、「うわっ」って圧倒されそうになる。原宿の歩行者天国で、行き過ぎる「冷たい目」と闘い ステージを積み重ねてきたからなんとかプレッシャーを跳ね返したけど、気を抜くと涙ちょちょ切れそうになるよ。

おまけに モニタースピーカーの前を離れると、まるっきりお互いの音が聞こえないんだ。勘だけが頼り。

これは怖い。

ボク、声が裏返ったりしてた。息が上がっちゃって。まるで歌えていない。

すごいプレッシャーと戦いながらやってたなぁ。客席を見るとたくさんのファンを引きつれて、チビ太がいる。

動き廻って苦しくって、喉がカラカラに渇いたけど、 そんなこと言ってられない。

必死に我慢してやってた。

Rock-Show

出来としては、けっして納得いくステージじゃなかったけど。すべての出演者の演奏が終わって 審査代表から発表があった。

rock audience

「さあ、2500バンドの頂点に立つのは、どのバンドか!? スーパー エクスプロージョン バンド だけが、栄光の武道館でのファイナル ステージに進めるのです!」

何度も味わった「発表の瞬間」

小さな店大会の時から始まって、何度も何度もふるい落とされるたびに 派手なコールの声を聞く。でも、今回は異常なほどアドレナリンが噴き出す。未来の運命が決まるからだ。

ドキ ドキ ドキ ドキ ドキ 祈るように目をつぶった。

スーパー・エクスプロージョンバンド

「・・・・・・・」

「・・・・・・・」

「・・・・・・・」

パアーッと、オレたちにスポットライトが当たった。一瞬の間があり、

「おめでとう! ロックンロール ジーニアス」

審査代表の叫び声に 客席がわいた。TVカメラが、ボクたちに向けられる。

体の真ん中でビックバンが起こり、全身がしびれて スパークした。

だって、武道館だよ? 日本代表だよ。何万というバンドの中から 選びに選び抜かれた数バンド。

その中にボクたちがいる。

1988年に開催された YAMAHA 【BAND EXPLOSION’88】関東甲信越大会 at.中野サンプラザ での、ロックンロール・ジーニアス の演奏、受賞部分の資料映像です。大人の事情により、無音状態の部分が多いです。

「ウソだろう?」って気分が半分。「当然だよ」って思いも半分ぐらいはあった。

後でヤマハの人に、各審査員のコメントが書いてある採点シートを見せて貰ったけど、

「スゲー!」

「これでも素人か」

っていうようなコメントが いっぱい書いてあった。ウレシいよ。やっと ボクの”動く バンド” が完成し、評価されたんだ。苦節 10年ってところか。

でも、ちょっと「残念なこと」がひとつ。

グランプリ バンドがもう一組、選ばれた。

ボクたちの他にもう一(いち)バンドが武道館へ行く。

関東甲信越大会というのはポプコンの時代から激戦区で、二組のグランプリを出すのがならわしとなっていたんだ。

ボクはそんなこと知らないから地団駄踏んで悔しがった。

冗談じゃない。最後までやらせてくれ。白黒つけて一組に絞り込んで欲しいと切望した。

自信があった。全てをけちらして進んでいる実感がある。

ま、そんな事言ってもボクたちにはどうすることも出来なくて。

グランプリはボクたちと、もう1つのバンドが受賞したんだよ。

あ、この時のグランプリは「スーパー・エクスプロージョンバンド」という呼び方だった。

Music-contest-Winners-Band
Newspaper announcing the tournament victory
Newspaper announcing the tournament victory

中野サンプラザの優勝バンド 2つのうち1つが ロックンロール・ジーニアス なんだよ。

レベッカのノッコが、優勝のトロフィーを渡してくれたんだけどさ、失敗した。

ボクが受けとればよかったんだけど、マコト・クレイジーにゆずったんだ。

「せっかくだから、お前行けよ」

晴れがましい席だし、喜びを皆で分かち合いたかったの。

でも また、マコト特有の「こだわり」が出ちゃって。「俺はロックミュージシャンだから、芸能人なんかに びびらねぇぜ」ってポーズつけちゃったんだ。ふてくされた感じで トロフィーを受け取ったから・・

せっかく「おめでとう」って言ってくれた、ノッコを無視する形になっちゃって。

「・・・・・」

その場の空気がしらけた。
こういうとこ、ダメだよな ボク達って。プライドと表現の仕方が下手くそなんだよ、マコトはそんな悪いヤツじゃないのに。ロックを気負いすぎてる。

ノッコ、ちょっと怒ってた。この場を借りて謝ります。ゴメンナサイ。

まぁ、いろいろあったけど。

ボクたちは「関東甲信越」でグランプリを受賞した。勝ち抜いたんだよ。

こういう経験は、なかなかできるもんじゃないでしょ。バンドやってたからって、なかなか到達できない場所だよ。

だから、そのあと どうなったか教えるね。

まわりの景色が一変した。 楽しいことが次々に舞い込んでくる―――

Victory brings happiness

 コンテストが終了した後も すぐには帰れなかったんだ。 「世界大会」の宣伝用のスチール写真を撮ったり、今後の予定を打ち合わせしたりで。 やっと解放された時には、夜というより深夜に近かった。

サンプラザの外に出ると、それでも大勢のファンが待っていてくれてさ。

 「ワアーッ!」 「パチパチ」 「ヒューッ、ピーピー」 

盛り上がって。 ボクたちも、ファンの連中も 拍手したり 抱き合ったり。 

本当はこのまま宴会でも、って所なんだけど、夜も遅いし 終電の時間も迫ってきていたから ね。 メンバーも。いろいろ予定のある人たちだし。その場でお開きになった。

bye

中野サンプラザ から、当時 住んでた 高円寺まで 歩いて帰る。

 夜の街を歩きながら・・フフッ。 一人ぼっちでトボトボ歩いて帰る 早稲田通り。

「そうか。こんなもんなんだ」

 派手さとは裏腹に、ただ歩いて帰るだけの自分を もう一人の自分が笑う。孤独だけど ハッピーだった。

途中で缶ビールを買って、「プシュッ」っと開けて。 一人で乾杯をしたんだ。 中野の・・・警察学校の長ーい塀の前を。こみ上げてくる笑いをかみしめて踊るように歩く。 拍手の音が、まだ耳から消えない。車のヘッドライトが、ステージを照らすピン・スポットに見えて。カシャ、カシャ、カシャ! 報道陣に取り囲まれてる妄想して。

「オレは掴んだぞ。自分の夢を」

未来のストーリーが次々に出て来て興奮した。 部屋でインタビューされてるつもり。

 「ああ・・この曲はツアー中のホテルの部屋で作ってさ」

なんて。 ブツ・ブツ・・・ブツ・ブツ・・・一人ごと言っちゃて。 ハタから見たら絶対変な奴に映ってた。でも、もうその気になっちゃってるから。本人、ポーズ つけながら真剣に答えてる。結構 笑えるね。

 「デビューは、あるコンテストで優勝したのがきっかけで・・」

live tour
後年、ツアーバスの中で曲作りをする ロックンロール kaz と 速弾き ヒカル

 それからは 毎日があわただしく過ぎていく。 銀座のヤマハ東京本部にもよく顔を出して、細かい打ち合わせなんかをした。 

「メルダックとキティレコードが、会おうかって言ってるよ」 

ヤマハ のスタッフが笑顔で話しかけてくる。

そろそろレコード会社の話とかもあったりして。ヤマハのコンテストで注目されると、そういう話が持ち上がってくるんだよ。

 

「メルダック・・・? って聞いたことないなぁ」

ってボクが言うと

「ダークダックスってコーラスグループがあるだろ?あそこが三菱に出資させて 作ったレーベルで、メルダックの“ダック”は ダークダックスの“ダック”って訳さ」

ヤマハ のスタッフが教えてくれる。
そういう新しいレコード会社が どんどん出来ている頃だ。 

 「へー、なるほど」

そういう事情に関しては、知らないことばかりでね。でも、いろいろ教えてもらううちに 何だ かすごくプロに近づいてる気がしてきてさ。

 「アマチュア生活も もう少しだ。プロになったら、本当の意味での 年間100ステージ を実 現させたい。ツアーに出るんだ 街から町。知らない土地で少しづつファンを増やして。 オレの曲を気に入って貰って、レコードを買ってもらう。ボンジョヴィだって、そうやってデカく なっていったって言うし。確か そういう歌があったっけ。 クリーデンス クリアウォーターの・・・・トラベリン バンド! そうだ、ロックンロール・ジー ニアス・トラベリン バンドだ」 

Live -Tour
Live Tour in Kagoshima 野外ステージ

なんて でかい事 本気で考え始めていた。それは ヤマハのスタッフも同じだったみたいで。

銀座のヤマハ東京支部で打ち合わせをしたあと。食事と酒をおごって貰ってね。

「外人バンドに勝てる スケールのデカさを持ってるのは、ジーニアスしかいない。日本人では、まだ世界大会の優勝者はないから、是非ともガンバって欲しい」

って、ヤマハの人たち 本気で期待してくれてた。

「次は、武道館だよ。世界中の国を代表するバンドが出てくるんだ。どう? 自信ある?」

と ヤマハのスタッフが ボクの顔を覗き込むように言った。

「もう 矢でも鉄砲でも持って来いですよ。次は 世界一を目指せばいいんでしょう?」

そうさ、世界一になってやる。

アマチュアで武道館を踏めるバンドは・・・・そうそうはいないだろう。

ボクは、ヤマハの人たちがついでくれる酒をあおりながら、未来の扉が開く音を 確かに聞いた。

Grand Prix

「カズさん、出てるよ!」

 うちのスタッフが、音楽雑誌を買ってきて。そこには ちゃあんとコンテストの記事が載ってい た。

 

「優勝は、原宿歩行天出身のバンド、ロックンロール・ジーニアス。得意のステージ パフォー マンスを駆使して、他のバンドを圧倒した・・・・」

 色んな雑誌に、コンテストの宣伝が載りはじめた。カラーで1ページとか ドカーンと出てる。

 「世界規模のミュージック コンテスト 『バンド エクスプロージョン』。審査員には、ボン ジョヴィのプロディーサーの・・・・」なんたら、かんたら。

 凄い連中の顔写真が、ドーンと出てて。その隣に しっかりボク達の写真も出てる。 ハハ・・・・笑っちゃう。 ほとんどギャグみたいな世界だよ。一晩寝て 起きたら、世界の景色が一変してるの。 クラブチッタって あるじゃない? 川崎に。

 優勝したごほうびに、あそこでライブをやらしてもらったり。

「カズ、大宮ソニックシティでイベントの仕事があるけど、やる?TV放映されるよ」

楽しい事が 次々に舞い込んでくる。 ヤマハ の、コンテストの責任者の和田さんって人が、そういう仕事を廻してくれていた。この時期は、3日に 一ぺんぐらいの割合で イベントのステージに上がっていたんだ。芝大門の、増上寺でやるイベントの話まで持ち上がって。

こうなってくると、 今まで鼻にもかけてくれなかったような、業界の知り合いも急に優しくなったりね。・・そうそ う、去年お世話になった、M楽器のHさんも 突然電話してきて。

 「凄いじゃーん!スゴイよお、ジーニアス。飲み行こう!」

 興奮してた。 みんなを引き連れて、高い酒をおごってくれたんだ。
好意的な知り合い、友達、遠い親戚。いっぱい増えた。何年も連絡なかったヤツが 向こうから連絡してくるの。 ボクは同じなのに、まわりの雰囲気が変化していったんだ。

「成功すると思ってたよ、才能あったもん」

嘘ばっかり。「お前、そんなことして何になるの? 夢見てんじゃねーよ!」って言ってたヤツがだよ。お前なら やると思ってた、昔から応援していた、って本気で話すの。え、お前 反対のこと言ってなかった? って言っても「いや、俺はずっと信じてた」って言い張る。

多分、人間って、記憶が書き変わるんだよね。その時の状況によって・・・

まぁ、いいよ。
とにかく感謝だ。ボクは今 追い風に乗って大きく舞いあがろうとしてる。そう思ってた。一ミリも疑ってなかったよ。あの時、ボクに否定的なことを言う人はいなかったし。すべては順調。順風満帆・・なはずだった。


 ところがこの年――― 何があったか憶えてる? 

band-manbaner

革ジャンを着てタバコをふかすレスポール・ギタープレイヤー。彼は不適な笑みを浮かべながら、相棒の気弱なもう1人のギタリストの肩に手をかけ何かを話している。気弱なギタリストも腕前は超一流で、オドオドしながらも最高のプレイを披露している、という表現のイラスト画像。

テキストメッセージで
」80'sドキュメンタリー ライナーノーツ BAND-MAN  STORY」
と書いてある。

  

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