どうしても、このままでは嫌だ!なんとかしたい。
そう思ったことはないだろうか?
そんな時、今までと同じように生きていても何も変わらない。時には劇的に、全てをひっくり返すぐらいの発想の転換と極端な行動が必要だ。
目的のためには、手段を選ばず というのは過激すぎるかもしれない。事件や犯罪の匂いがする。一線を越えすぎたら逮捕される可能性すら出てくる。
そこまで踏み込んではいけない。やってはいけないこともあるからだ。しかし、
突破する時、
ピュアなだけではいられない。
時には 強引さも大事
というのが今回の物語のテーマだ。
具体的なストーリーで考えるヒントをつかもう。
ドキュメンタル STORY で人生をリセット!
〜机上の空論じゃ現状を変えられない。実例からヒントを得よう〜
ボクについては プロフィール を見てね
SONG-9 悪魔の計画
夢を本当に実現したいと思ったら「きれいごと」ばかりですまないこともある。どうしてもかなえたい夢があるなら、多少強引でも「欲しいものをつかむ」ことに集中して欲しい。
スポーツの世界でもライバルを蹴落とすぐらい牙をむいてトップをつかみにいく強引さが、時に必要だ。なんでもお行儀よく、フェアに。誰も傷つけず、なんてやっていたらチャンスは簡単に逃げていく。多少強引にでも夢をつかみに行かなきゃならない日は必ず来る。
今成功している有名人たちも、どこかで無茶した経験が必ずある。自分の欲しいものを得るために避けて通れないワイルドさも必要なのだ。
もちろん、犯罪を犯してはいけない。やっていいことと悪いことの判断は大事だ。ただね、違法ではなくても。無理を通せば誰かが傷つく。それが人間社会なんだよ。だから日本人は空気を読んで、必要以上に自己主張しない。
でも絶対にかなえたいことがあるなら、時に周りを気にせず突っ走れ! 強引に突き進むとはそういうことだ。
ボクはルールすれすれの方法を使った。
これを自分の身内以外に使ったらアウトだ。本当は身内だって許さない人もいるかもしれない。ボクはこの方法を使ったことを今、深く反省しているが、それでもあの時に戻ってもう1度やるかと問われれば「たぶんやるだろう」と答える。それほど、ボクはあの時の自分の状況を変えたかった。なんとしても───
ボクが海外へ飛び出す夢をかなえた方法はこうだ。
まず、大学受験をする、と嘘をついて10校ほどの願書を取り寄せた。
親は「大学へ行け」「受験しろ。どこかにもぐりこんで親を安心させてちょうだい」とうるさかった。ボクは「もう大学なんか行かない。働く」と断り続けていたけど、子供の意見には耳を貸さずの状態だった。いつもその方法でボクをコントロールしつづけてきた。親の考える幸福、それに従ってさんざんひどい目に遭わされてきた。今度はいいなりになんかなるもんか、と心を閉じかけた瞬間。
「復讐してやれよ、慰謝料払わせろ」
と心の闇から声が聞こえた。その瞬間、すべての計画が出来上がった。
航空大学校の受験日が一般の大学入試より半年も早かったのがこの計画に味方した。ボクは方々の大学から目一杯の願書を取り寄せた。一流大学ばかり。まぁ、それだけだと現実味が薄いからちょっと努力すれば手が届くかな、ぐらいの大学も入れとく。
有名校だって受けるのは自由。「こんな所受けるの?」と、親は喜んだ。受けるのと受かるのはまったく別次元のことなのに。受験日が重ならないようにスケジューリングして申し込み手続きを書き、親に見せると案の定喜んで受験料をくれた。領収書はノーチェック。あとは、着服。
受験はしない。
受験料サギ。今は胸が痛むけど、当時は「してやったり」って思ってた。どうせ受けたって受かりゃしない、一流大学。ドブに金を捨てるようなもんだ。「青春の記念」にしちゃ高すぎる金額だ。ここまでボクを追い込んだ、多少の償いはしてもらうぜ。って気持ちだった。
十校分ぐらいの受験料が集まった。一校で一万五千円としても・・・ 大金だ。
その年は当然のことながら全部不合格。受けてないから、受からない。
親は「浪人して予備校行って、来年はもう少し志望校を下げた方がいいわねぇ」なんて言ってる。だから予備校の願書をもらった。「春季セミナー」ってあるじゃない? あれが2~3万で受講できた。それを受講すると学生証がもらえる。実際には「私立大受験コース 本科」の申し込みをしたと思ってる。差額何十万は全部「夢用の銀行預金」に入れた。
予備校には行かない。
その時間は仕事をする。割のいいバイトを決めてあった。当時350円ぐらいがバイトの平均時給だったのに、友達が紹介してくれたそこは時給500円も貰えた。
山中湖とかに行くと、足こぎボートがあるでしょ? スワンの形したのとか。
そのボートを作っていた。ガラスウールを糊で固めた船底にドリルで穴を開ける。足こぎペダルをつけるためだ。
ドリルでガガガー。するとガラスの粉が飛び散って肌につき猛烈にかゆい。シャワーで洗ったぐらいじゃ落ちないんだ、ガラスの細い針が肌に突き刺さってるわけだから。あれはまいった。痛痒くチクチクしてくる。陽の光にキラキラとガラスの粉がきらめいていた。マスクもしてなかったので、粉を吸い込んじゃって息がぜーぜー。ぜんそくみたいになる。今思えば危険だな。
本当ならマスクとか支給しなきゃならんのだろうけど、そういうのは無し。バイトを安くこき使ってラッキー、みたいな社長だった。
体には最悪だったろうね。長くやってたら確実に病気になる。それだけに破格の時給。残業代もちゃんとくれる。河口湖に納品に行くと出張手当も出た。
予備校なんて行ってる暇はない。結構朝早くから夜になるまで働いた。この1年働いて、金貯めて来年絶対に海外へ行く。夢はどんどん現実に近づいていたからチクチク肌はかゆいけど心は浮き浮きしていたんだ。
海外生活、学校の情報、どこの国に行こうかとか。そういう関係の本を買ったり、例の「留学相談協会」にも何度も足を運んで情報収集したり、準備を進めていった。
何ヶ月か経つと、さすがに親も「おかしいな」と気づき始めるんだけど、何も言わない。とりあえず毎朝寝坊もせずにきちんと登校(?)していくし。授業が終わってから、たまにはバイトでもしてんのかな? ぐらいに思っていたと思う。
「夢貯金」の残高はみるみる増えていった。寝るところも食事にもお金がかからず、バイト代をまるまる貯金できたのが大きい。今更ながら親には感謝だ。毎月銀行の通帳をながめるのが密かな楽しみになった。預金残高を見てニタニタしていた。目標額は、1年も経たずに軽く超えた。でも、もっと。これから海外で1人で生きていくんだ、不安だ。お金は多ければ多いほどいい。そう思うとなかなかバイトを辞められなかった。
結局1年半それをやり、かなりのお金を貯めた。そして当然、翌年もたくさん受験(するふり)し、受験料をくすねた。母親はお金に無頓着でひどい教育ママだったので、そういうルーズな計画でもバレずに着服できたのだ。
親の金をくすねるなんて、という批判はわかる。しかし、この時のボクは何が何でもリセットしたかった。すべての状況をガラリ、と変えたかった。そのためとはいえ、泥棒はできない。親に対する詐欺だって微妙に法律に触れるかもしれないけど、訴えられはしないと腹をくくった。
言っとくけど、こういうグレーゾーンの際どいことをやったのは、後にも先にもこの時だけだ。それ以外は天に誓って道にはずれたことはしていない。この時はそれぐらいのことをしてでも短期にお金を作り、さっさと行動したかったのだ。
ボクが言いたいのは、自分が持っている環境や人脈、アイデアを最大限に使えば大抵の夢は現実になるっていうこと。
それでもボクを非難したければ、甘んじて受けるよ。
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