危険に陥った時。仕事がうまくいかないとき。人と衝突した時。
まぁ、物事がうまくいかない時。どうするか?
答えは
流れを変えること
である。うまくいかないのは流れが悪い。自分もしくは誰かが、その悪い流れを作った。
この世は「流れ」によって事態が変わる。←ここ大事だよ
ボクは釣りをするからよくわかるんだけど。
魚は1日中釣れるわけではない。早朝の薄暗い「朝マズメ」夕方薄暗くなってからの「夕マズメ」
これが魚の捕食意欲が最も高い「食事時」と言われるものだ。
ところが、これだけでは釣れない。ここに「潮の流れ」「潮の満ち引き」が大きく関与してくる。
海の中には「川のような流れ」がある。大きな流れは「黒潮」とか「親潮」と呼ばれるもので、その流れに沿って魚の群れが移動している。
これ以外にも小さな「潮の流れ」が1日に何度も流れる向きを変える。
さっきまで右から左に流れていた潮が突然「左から右に流れだす」
この流れの変化により、釣れていた魚が ピタッと釣れなくなる。
人の世もこれと同じだ。
何をやってもうまくいく時期、やればやるほどドツボにハマる経験を、したことはないだろうか?
これは、人の世に流れる「潮の流れ」「潮の満ち引き」である。
本当かどうかわからないが、人が生まれてくる時、この世を去る時も この流れの中で行われるようだ。つまり、成功も失敗も「流れが大事」
良い流れを生み出し行動。悪い流れを回避。
ということを話しているのが今回の物語だ。
特に、危機回避には、流れを変える思い切った行動をする
人間相手の危機回避では、意表を突く行動が効果的であることを本編で理解して欲しい。
具体的なストーリーで考えるヒントをつかもう。
ドキュメンタル STORY で人生をリセット!
〜机上の空論じゃ現状を変えられない。実例からヒントを得よう〜
ボクについては プロフィール を見てね
SONG-17 ダイブ!
────車から飛び降りたこと、ありますか? ボクはあります────
「ヘイ、ディック。道が違うぜ。オレはもう酒なんか飲みたくない。」
ディックはボクの話を無視するように無言で運転を続けている。
「さっき送る、って言ったろう?オレはもう酔いすぎて眠いんだよ。送ってくれ」
フン、と笑うディック。
「アスク? or オーダー?」
お願いか、命令か? と聞いている。
その時、ボクは「アスク」と「オーダー」の違いをあまり理解していなかった。「オーダー」という言葉の強さ。争いの最後の引き金をひく「命令」という言葉のこわさ。全然理解していなかった。だからボクは怒りにまかせて
「アスク。アンド オーダー!」
と叫んだんだ。
ディックは青い目でじっとボクを見て「ユー シー?」「ユ・シー?」ほらね、と何度も確認した。
そしていきなりボクの背もたれの後ろに手を入れると「バッ!」と素早く引き抜いた。
手には長いナイフが握られている。
カーラジオから、チャック・マンジョーネの「Feels So Good」が流れていた。あの時期、アメリカでこの曲がやたら流行っていて、街中で頻繁にかかるんだ。
夕暮れ迫る今頃には特にハマる名曲だが、それどころじゃない。ブラス楽器のキレイなメロディーが流れる車内、運転席の男はボクに向かってナイフを突きつけている。
なんともカオスだ・・
不気味に笑いながらディックは、「スポイルド」という単語を使った。甘やかされている、という意味だ。
「おまえら日本人はアメリカが守ってやっていると思って、自分たちは何もせず甘えてる。だからおまえのような甘ったれが出来上がるんだ」
と抜かしやがった。一部の? あるいはかなり多くの「アメリカ人の本音」が透けて見えたような気がして、戦争に負けた悔しさを感じる。
ボクら日本人は、民主主義の国に生まれたと思っている。ボクの世代は、アメリカの優雅さをテレビで見て育ったから、少しの憧れと、わりと対等な付き合いをアメリカとはしていると信じていた。疑わなかった。
でも、こっちに来てから何人かのアメリカ人の態度には妙な温度差がある。その違和感の正体、一部のアメリカ人の本音を目の前の男は語っている。
おまえらは戦争に負けたんだ。オレ達が守ってやらなきゃ弱っちいくせに、ご主人様に吠えるんじゃない。植民地のくせに。
ディックは極端な考えの持ち主なのだろう。でも、それを差し引いても、ボクたちは戦後、あまりにも能天気に、日本もアメリカのような独立した民主主義国家だと思いこまされてきたんじゃないか?
マスコミも学校も、グルになって大事な何かをボクに伝えずにきた。
巣鴨で一方的な裁判されて処刑された偉人たち〔一般的にはA級戦犯と呼ばれている。本当?〕
広島にも長崎にも落とされた原爆。あれ、大量虐殺じゃないの?
そうやって支配してきた我々を、喧嘩に勝ったヤツが対等に扱うなんてするだろうか?
アメリカ様のお触れが出ると、日本政府はすぐに従う。誰も教えてくれなかったけど、ディックの言うように、日本は柔らかな植民地なのかもしれない。
情報統制されて、支配者に都合のいい大本営発表しかマスコミが流さない「明るい北朝鮮」なのかもしれない。協力関係だと思っていたけど主従関係だったというオチ。くそっ!
ディックに反論したいけど突きつけられたナイフがその思いを断ち切った。
「これからどこへ行くかわかるか? 深い森の中に埋めれば、日本人旅行者の1人や2人。死体なんて永遠に出てこない」
ゾッとする言葉に、ボクの心臓はドキリ、と飛び上がり早くなったがそれを悟られないように、ボクは ディックをにらんだ。
車はスピードを上げ、チルドレンズ・パークに向かう坂道を、スピードを上げながら昇っていった───
車の中には、ボクを刺そうと思っている男。ナイフを手にしながら猛スピードで運転している。絶体絶命の車内で、ラジオから流れるメロディーはボクの知らない曲に変わっていた。
この状況で、なぜこのメロディー?というほど綺麗で物悲しい、場違いなBGMだ。それはかえって不気味で、「ボヘミアン・ラプソディー」のようだった。
綺麗なサウンドに乗せて「ママ。ぼく人を殺してきたよ。埋めてきたんだ」と陽気に?歌うフレディ。
夕闇が迫っている風景の中、車はどんどんスピードを上げ坂を登っていく。
「これから、どこへ行くか わかるか?」
そう言うとディックは、不気味に笑い、おどすようにナイフでハンドルを叩きはじめた。
「・・・」
「チルドレンズ・パークだよ。あそこなら誰にも邪魔されず切りきざめる」
今は名前が変わっているようだけど、1977年ごろに
チルドレンズ・パークと言っていたのは、バークレーの高台にある森のように広い公園で。夜になるとサンフランシスコ中のネオンや車のヘッドライトが星のように見渡せるというので、カップルが夜景を見に来る名所になっている。
しかし一歩うっそうとした森の中へ入っていくと、昼でも暗く人影はない。
「しまった」
ボクは後悔をかみしめていた。
「まぁ、オレにも言いすぎた所があったのはあやまる。機嫌直して家に帰ろうぜ」
自分でもしらじらしいと思う、ボクの言葉を遮るように、
「ノーウ」
引きずるように粘っこく、ディックは言った。
「トゥー・レイト。お前は俺を侮辱した。殺して埋めてやる。日本人の旅行者が一人ぐらい行方不明になったって、事件にもなるものか」
なぜ外国人が必要以上に口喧嘩しないか。
映画なんかで見ても、ある程度でやめるじゃない? その理由がわかった。
ののしり合いは殴り合い、殺し合いに発展する。いろんな人種の、色んな考えが渦巻く国では。
芸術、スポーツ、科学。色んな才能が混じり合ってびっくりするほど斬新なものが生まれる反面、宗教も思想も違えば争いごとの種はつきないわけだから。
ある程度でストップしなければ、日本のようにせいぜいこずきあっておしまい、とはいかない。
TVでアメリカのB級映画を見ると変質的な犯罪が出てくる。さらって地下室で切り刻むような。
ボクはそういうシーンを思い出していた。口の中が渇く。引きつりそうになる顔を必死でつくろっていた。車はカーブの多い坂をタイヤを鳴らしながら登っていく。
「どうしよう」
頭は激しく解決策を求めてフル稼動。ボクの墓場になるだろう場所は、刻一刻と近づいている。
「飛び降りるしかないか」
心の中でつぶやいた。ガケ側のガードレールを飛び越えて谷底に落ちれば命はないが、幸いここはアメリカ。左ハンドルだ。右の助手席は山側でまだ安全といえる。
とはいってもこのスピードで走る車から飛び降りて命はあるのかな? メーターが三十や四十を指していても、それは30キロという意味じゃない。30マイル(約48キロ)なんだから。
しかし今はその恐怖よりも、このままこの車に乗っていることの方がはるかに危険だった。
「飛び降りるしかないか」
多少の怪我は覚悟。致命傷にだけはならないように。
「やっぱり・・飛び降りるしかないか」
もう1度、今度は自分の意思を確認するようにつぶやいた。
そして注意深く、その機会を待った。うねりながら何度目かのカーブを曲がった時、カーブがきつくてディックはブレーキを踏み、かなりスピードが落ちた。
「今だ」
ボクはダイブした。
扉を開けると風が通り過ぎた。「ガン」次に待っていたのは頭への強い衝撃。
「アレ? 身体が動かない」夢を見ているように目の前の映像が真っ暗になった。
「早く逃げなきゃ、逃げなきゃ」
夢の中でバタバタともがき、頭で命令しても身体はぴくりとも動かない。ちょうど車のクラッチがはずれたように、頭と「身体の動力」がつながらず空回りしている。
「早く逃げなきゃ、追いかけてくるぞ」
身悶えしてるうちに、何かの拍子に回路がつながり、現実の世界に戻された。
起き上がり、
走る。走って、ドンドンドン! 丘の上の家のドアを叩く。
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