SONG-13【つまらない人生が面白くなる⚪︎⚪︎の育て方】サンフランシスコへ

つまらなき世を面白く

毎日が楽しくない

そう思っている人は多いと思う。

年齢を問わず、今の日本ではそういうため息が蔓延しているな。

絶望感に苦しんでいる人、そこまでじゃないけどなんか毎日つまらない

そう思っている人は今、立ち止まって考えてみよう。

今じゃなきゃだめだ。今考えないと、また忙しさに流され「なんとなく」生きて「なんとなく」つまらなくて「なんとなく」年をとっていって。

ある日、狂おしいほど全てが嫌になる。

そうなる前に、今。考えてみよう。その答えはあるよ。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

not funイメージ画像。

若い女性、中年男、少年がつまらなそうに頭を抱えている写真。

なぜ今、そんな思いなのか?

悩みには原因があり、答えがある。

どんな年齢の人でも「毎日が楽しくない」と考えている人は、同じ過ちを冒している。

それはーー

自分の得意なことを無視して生きている

という過ちだ。

人は誰でも、多かれ少なかれ「自分の得意なこと」と「不得意なこと」と「どうでもいいこと」がある。

今が苦しい人は、自分にとって「不得意なこと」と「どうでもいいこと」で生きている。

自分の得意を無視している。

だからあなたの身体が、心が、猛烈にあなたに抗議をしている。渇き、求めている。自分の得意なことをやりたいのにできない。不得意な道で本当の実力を発揮できない無念さ。

そんな心の叫びが「毎日が楽しくない」という思いなのだ。

Cravingイメージ。

暗闇の中、空に向かって手を伸ばし、求める女性。

テキストメッセージ

「本当に、得意なことがあるのに・・」

ならば、どうしたらいいか?

答えは簡単。

「あなたの得意なこと」で生きる人生に変えること、である。

ところがことはそう簡単ではない。理由は大きく分けて以下の3つ。

1 そもそも、自分の得意がわからない。

こういう人は、子供の時にあった「自分の得意」な分野への気持ちを思い出す必要がある。たいてい、周りの大人たちに「そんなことしてないで勉強しなさい」などと言われているうちに自分の特質、才能、得意な道を見失った。

だから、子供の頃の記憶を辿って、もう一度自分の得意を見つけることから始めなければいけない。

あるいは、自分が好きで憧れる偉人やスターがいるなら、その人たちが持っている何かが自分の得意と繋がっている可能性が高い。

2 得意なことより、好きなことをやりたい

たいてい上手くいってない人は、このパターンが多い。

アーティスト気取りの

Selfish-Crazy woman

「好きなことで生きていく」というキャッチ・コピーが流行った。

しかしこれには落とし穴がある。好きなことでも得意じゃないことをやっていれば花は咲かない。当然のことだ。

その道には、あなたよりずっと上手くそれをやる人がいるのだから。

何をやる人生が最も楽しいか、は以下の順番。

自分の得意なこと>自分の好きなこと>どうでもいいこと>自分の嫌い、不得意なこと

ここに工夫がいる。

好きなことをやりたければ、得意なことと組み合わせる。スポーツが好きでも、運動音痴なら「運動選手」になることは諦めて、運動選手を支える仕事をする。カッコいいウェアを作ったり、選手の体をメンテナンスする専門家になったり。

自分の得意分野を見極め、それと好きなことをどう組み合わせるか考える。これがセンス。

これこそが本当の

「好きなことで生きていく」という意味だ。

3 あなたの得意を邪魔する「ドリーム・イーター」がいる

誰かの操り人形として、時計の上を歩く男の画像。

「ドリーム・イーター」とは、あなたの夢を食ってしまう魔物のことだ。

厄介なことに、この魔物はあなたの敵よりも味方である場合が多い。

親、妻、夫、子供、親戚、友人・・・

彼らは「良かれ」と思ってアドバイスする。あなたを心配する。同時に、自分とあなたの環境バランスが崩されることを嫌がる。

しかし、あなたの人生は誰の人生か?

もちろん主役はあなたである。ならば、あなたが納得することが最優先事項だ。

その上で、周りをなるべく不幸にしない落とし所を考えるべきなのだ。

自分の得意なことがわかり、それを生かした人生にしようと思ったら「希望」が生まれる。

希望とは、もしかしたら自分にもできるかも。この道なら楽しく活躍できるかもしれない、と未来に灯りがともることである。

そんな希望が生まれた瞬間を描いたのが 今回の物語。

つまらない人生が面白くなる 希望 の育て方

サンフランシスコへ


具体的なストーリーで考えるヒントをつかもう。

ドキュメンタル STORY で人生をリセット!
〜机上の空論じゃ現状を変えられない。実例からヒントを得よう〜
ボクについては プロフィール を見てね

目次

SONG-13 サンフランシスコへ

───キミは詩を書く仕事につくべきだ──

学校の授業は「セメスター」という数ヶ月ごとの学期に分かれていた。日本で言う一学期、二学期という感覚だろうか。渡米してからだいぶ経ったので、そろそろ今後の授業をどうするか考える時期に来ていた。このままマイアミで次の学期を迎えるか、それとも。

砂浜に「Florida」と書かれた写真。

波打ち際で波が寄せている。

日本と違って、アメリカは割と自由に他の学校へ移れる。どこで学ぶか選択権が生徒側にある場合が多い。いろんな学校へ移って勉強したい所を自由に選べればいいと思わない? 日本も見習って欲しい。学校や勉強って、もっと自由で楽しいものなんだよ。

学則ばかり作って、生徒手帳で息苦しく縛りあげるなんて単なる支配だ。そんなところに真の教育はない。

ましてや偏差値で厳格に分けて。転校することもままならない学校なんて、いろんな人種、才能との出会いを潰し新しい価値との遭遇を邪魔する行為だ。

日本の教育環境が、大人たちの都合ではなく生徒中心に変わる日を心待ちにしている。

話を戻そう。

ボクのクラスメートも、国に帰るヤツもいるけど他の学校に移る生徒が多かった。ボクも移動しようと決めてたんだ。フロリダは海のそば、のんびりした観光地ってイメージがあるけどボクが肌で感じたのは違う感覚だった。

たとえばダイナー(食堂)へ行って席について注文しようとするでしょ? ウェイトレスがやってきて露骨に嫌な顔をされ、チッて舌打ちされる。

なんだろう、と不思議に思っていたんだけど、だんだん差別されていることに気がつく。後から座った白人の料理は運ばれてきてもボクのはなかなかやってこない。たとえ隣と同じメニューを頼んだとしても。

Racism

あるいは、レストランに行く。ガラガラの店内で案内されるのは奥の柱の陰だったり。周りを見ると同じ有色人種で寄せ集められている。後から来た白人は窓際の景色のいい席に通されたりね。

こういう笑い話みたいな露骨なことするんだぁ、と面食らった。

いつもいつもじゃないけど、そういう経験をしばしばする。

あ、ボクは有色なんだ。黄色いんだ。肌は白い感じだけど、そうじゃないんだな、と自分のルーツを嫌でも意識させられることがあった。

これはアメリカ全土、どこでもあるのかもしれない。どの州へ行ったって、人種差別は存在するのかな、日本の中にいるとわからないけど。

自由の国、アメリカに来たはずなのに、なんか不自由だ。でも、州によって雰囲気がガラリと変わるってドイツ人の留学生が教えてくれた。マイアミは刺激のあるエリアで、面白いこともいっぱいあるけど、もうこの土地からは移動しようかな、と思い始めていた。

Fly-awayイメージ。

ワシが大空に飛び立つ画像。

学校を決めなきゃ。観光ビザに変わったらすぐにアメリカを追い出されてしまう。そう悩んでいたら、アルフォンソが相談に乗ってくれた。

彼は「どこそこの学校がいい」という情報をいっぱい持っていて、この間も友人をカナダの学校へ送り込んでいた。

カナダじゃ国が違うからいやだ。ボクはこのUSAで、自由と情熱を感じられるところへ行きたい、と言ってみた。これぞアメリカ、っていうとこ紹介してくれ。と言うと、

「だったらカリフォルニアだね、キミに合うのは、バークレーだ」

その学校は、アルフォンソが行こうとしていた。サンフランシスコの近く、バークレーという所にある「カリフォルニア大学バークレー校の付属英語学校」

「UCLA」という有名な大学があるでしょ? あれは、「ユニバーシティ オブ カリフォルニア ロサンゼルス校」だけれど、その姉妹校で「カリフォルニア大学 バークレー校」というのがあるらしい。

ダスティン・ホフマン主演の有名な映画「卒業」の舞台になったところで、主人公が教会の壁を叩いて結婚式場から花嫁を奪っちゃう、という衝撃的な内容の物語。

映画鑑賞する二人の男女の画像。

あの映画に出てくるのがこの大学なんだ。

「取り寄せた入学願書があるから、これに必要事項を書いて送ってみなよ」

アルフォンソは人の良さそうな笑顔を見せてボクに願書の入った封筒をくれた。

「いいの? キミの願書なのに」

と言うとアルフォンソは、

「ボクは日本に行くよ。キミの自慢の日本がとっても見てみたくなった。だから、この願書はもう必要ないから使ってくれ」

と、驚くカミングアウトを始めた。

「に、日本に行くの?」

「Yes」

アルフォンソは日本を旅して堪能した後、そのまま国に帰るらしい。

そんなに日本を好きになってくれたのか、と思うと嬉しかったし、情報通の彼が行きたいほどのバークレーにもすごく興味が湧いた。

だからボクはさっそくお言葉に甘えて、バークレー校の付属英語学校に入学願書を送ってみたんだ。

アルフォンソは日本へ。

そしてボクは、次の学期の変わり目に、カリフォルニアへ旅立った───

学校と希望

「ユニバーシティ オブ カリフォルニア バークレー校」

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大学の時計台の画像。

ここは綺麗なところだった。キャンパス内では、ライブや青空演説が頻繁に行われている。「自由」リベラルな空気に満ち溢れていた。

パァーッと視界が開けた感じ。やっとアメリカに来たと思ったよ。アメリカは広い。州が違えば外国だ。日本人も多かったから閉鎖的な暗い「日本人村」もなかった。そんなもの作る必要がないぐらいさまざまな人種で自由な交流をしていた。

uc berkeley-2

校舎全景

バークレー大学は頭のいい学生が集まる一流校だったから、人々の振る舞いにセンスがあり楽しい活気がある。マイアミで少し感じていた有色人種に対する差別意識みたいなものも、まるでなかった。

それは大学付属の英語学校の教師も同じ。

ボクたちに「教えてやろう」という意識じゃなく、「一緒に発見していこうよ」っていう友達みたいな先生ばかり。

教えることで教えられ、教えられることでまた新しい発見がある。教師と生徒、どっちが偉いとかじゃなく共に成長しようという希望があった。ボクはその校風にしびれた。まさにボクが求め続けていた教育現場がここにあったんだ。

優れた才能を伸ばし、足りない部分は持ってる人の才能で埋める、という教育がね。

授業で一枚の絵を見せられた。

アメリカの家庭の朝の出勤風景だ。ガレージで車に乗った夫を、妻と子が見送っている。この絵に英語のストーリーをつけろ、っていう問題。ボクは、こういう風に書いた。

「ある朝、スティーブが出勤しようとしたらエンジンがかからない。よく調べたら、マフラーにポテトが押し込んであった。どうして、こんなところにポテトが? その時、子供のトムが泣き出した。パパに会社に行って欲しくなくて、ボクが詰めたんだよ、って。

morning commute-1

car breakdown

ママがパパに言った。今晩は早く帰って来てね、三人でパーティーしましょう。OK ってスティーブは答え、今度こそエンジンがかかって見送りました。さて、ママはトムにじゃがいもを渡して、ポテト料理を作るから、じゃがいもむくの手伝ってね」

morning commute-2

子供とママが出勤するパパの車に手を振る画像。

というストーリー。

くだらない、って笑われるかなって思ったんだけど、先生はこう言った。

「もしかすると、未来の有名作家になるかもしれない人の作品を読みます」

そうしてボクの英文を読んだ後、

「素敵な、詩のような文章だ。キミは才能あるよ、詩を書く仕事に就くべきだ」

真面目な顔で先生がボクの目を見て言うと「ワッ」とクラスのみんなが拍手した。

どんなに嬉しかったかわかるかい? アメリカに来てよかった。小学校二年生の時以来、初めて教師に認められたんだ。涙が出そうだった。

Applause

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