人や本、出来事、考え方など。
それまでの自分の生き方を根底から揺さぶられるほどの衝撃!
感動。
そう。
最高の出会いとは、鳥肌が立つほどの感動のことだ。
それほどまでの出会いは、人生に1度か2度。神様からのプレゼントと言ってもいい。
その出会いを大事にし、どう受け止め、どう行動するかで未来が輝くかどうか決まる。
そんな出会いは無い?
その出会いがない、という人もいるが「気付いてない」ことも多い。
出会いへの「感度」が低いのだ。
美味しいものを食べても、素敵な映画を観ても「ふーん・・」で終わる人。
提供されたもの全てに「あって当然」と思ってないだろうか?
砂漠の中で水もなく、照りつける太陽の下 歩き続けるような「死ぬほどの体験」をしない限り、自分に提供されたものが「大事だ」と感じられない人がいる。
豊かな生活、何不自由なく暮らしていた人が、ある日入院する。明日もしれぬ命になった時、道端に咲く小さな花の美しさや、川の音や頬を撫でる風の心地よさに気づいた、という話を聞く。
そう。
出会いへの「感度」が低いとは、生きていることへの感謝が低いことを指す。その野菜も、魚も肉も。スーパーが作って売っているわけじゃない。誰かが育て、狩に行ったり漁に出たりしたから、そこにある。
野菜も肉も、命だ。
提供されるものは「特別なもの」なのだと意識して生きていれば、出会いへの「感度」も良くなる。
そういう生き方をしていれば、いずれ出会うのが「人生を変える出会い」だ。
それまでの自分の生き方を根底から揺さぶられる感動について、
今回の物語は紹介する。
具体的なストーリーで考えるヒントをつかもう。
ドキュメンタル STORY で人生をリセット!
〜机上の空論じゃ現状を変えられない。実例からヒントを得よう〜
ボクについては プロフィール を見てね
SONG-14 路上のパフォーマンス「動く」バンド
ボクに感動を与えてくれた先生は、授業が終わってからもボクを呼び出し、
「毎日、日記を書いて必ず詩を一つ作ること。その練習をすれば、もっともっとうまくなるからね」
と、アドバイスしてくれた。
以後、ノートを作って毎日 詩を1つ作る、という作業を10年以上続けた。今はペースが落ちて毎日じゃないけど詩を書く。と言うよりも「曲を書いて詩を作ったり」ストーリーを綴ったり。この「ライナーノーツ」も、そういう習慣の中で書くようになったんだ。
かすかな可能性に光を当てられることで人は育っていく。相手を否定するところからは何も生まれない。人を尊重し、尊敬し「誰だって持っている輝きを磨く手伝いをすることが教育じゃないのか?」一人として、この世に「落ちこぼれなんていやしない」
選別ばかりする教育が何を生み出しているかよく見るがいい。「認められたい」と願う魂が、日本にはうじゃうじゃ彷徨っている。かつてのボクのようにね。
ロックへの目覚め
アメリカは、音楽の国だった。
そう思って見回してみると、随分見落としていた景色に気がつく。キャンパスの中でも、サンフランシスコのケーブルカーが走る坂道でも、多くのバンドやソロミュージシャンたちが青空演奏で道行く人を楽しませている。
マイルスデイビスみたいなカッ飛んだ管楽器プレイヤーが吹いていたり、セピア色の写真から抜け出してきたような年季の入ったジャズマンたちがギグしていたり。ジャクソンファミリーの子供時代のような小さな兄弟ダンスシンガーたちが馬跳びのようにお互いの体を飛び越えて歌っていたり。エンターテインメントが凄いの。磨き抜かれた芸になってる。
その中に、激しく動くバンドがいた。
ギャイーン、とディストーションのかかったギター。怒涛のように押し寄せるドラム。体に入り込みうねるベース。演奏のワイルドさもさることながら、立ったり、座ったり、集合したり離れたりの演奏パフォーマンスが凄い! あまりの衝撃に「アワワワ」と声にならない感動がもれる。
今考えれば、「キッス」や「ストーンズ」あたりの影響受けてるバンドだ、ぐらいの分析ができる。その後に見たバンドで、そのバンドに一番雰囲気が近いのが「デイビッド・リー・ロスバンド」だ。その流れで言えば「Mr. Big」なんかもそうだろう。とにかく、ものすごく動くバンドなんだ。
「うわぁ、凄い! ROCK だ、こんなの初めて見た。こんな動くバンドなんて・・・ カッコいい」
ボクは、そのバンドに釘付けになった。まったくその場を動けなくなって、全部の演奏をむさぼるように聴いた。彼らのエンターテインメントを少しも見逃すまいと目に焼き付けた。演奏はとっくに終わって、そのバンドがどこかへ消え去っても血液が吹き出しそうなほど手が震えている。叫び出したい興奮に包まれていた。足は根が生えたように歩き出せない。なんだ、この気分は。
やがて少し気持ちが落ち着いてくると、「いいなぁ」という憧れが押し寄せてくる。思い出すだけでドキドキドキ・・・ ああ、いいなぁ。今の自分と余りにも違う。いいなぁ、ああいうふうになれたら・・・
「えっ!」
ボクの心臓はドキリと大きく跳ね上がった。
あんなふうに、なれたら? ドドドドドド、と心臓が早くなる。いいのか? あんなふうに成っても・・・ とんでもない夢が、突如目の前に現れた。命と交換でも構わない、もしあんなふうになれるなら。
「詩を生かせる職業・・・ そうだ、ボクのやりたかったのは、これだったんじゃないだろうか?」
いろんな物、今までちぐはぐでバラバラだったものが突然結びついて一つの形になっていく。
作家になればいいと、子供時代に言われた時は、それはそれで嬉しかった。でも、作家って武者小路実篤みたいな感じだろ? 机にかじりついて執筆、太っててなんかあんまりアクティブじゃないイメージがする。太宰治みたいに悩んだり女性と駆け落ちしたり精神的におかしくなったり。
純文学・・なんだかこそばいなぁ・・
という勝手な作家像があった。
でも、さっきの連中が歌っていたのは魂の奥の方から湧き上がってくる叫びだ。スポーツに近い躍動感だ。ああいう詩ならボクも書ける。きっとできる!
「でも・・・」
ボクには音楽なんてまるっきりわからない。学校の授業でも音楽の時間が嫌いで、リコーダーを忘れてくると立たせるヒステリー先生が嫌いで、クラスメートが夢中になってるビートルズにだって興味もなかった。それなのに突然、音楽の道なんて目指していいのだろうか?
ボクは今19歳で、もうすぐハタチになる。今からじゃ遅くないか?
人間というのは本当に不思議なもので、欲しいものがあっても理性がそれを抑えようと邪魔してくる。無防備に飛びつくと怪我をするからマイナス情報を出してきて燃え上がった情熱の火消しを始める。
ところが、
この時ばかりはダメだった。消そうとしてもさらに燃え上がる。それが本当の夢を見つけたサインだ。確かに19歳の今まで、音楽なんて興味もなかったしレコードも買ったことない。楽器も弾けない。バンドもやったことないよ。音楽とは無縁の19年だった。でも、もう駄目。
心が喜んじゃって、体はガタガタ震えて、居ても立ってもいられなくて歩き出した。
「そうだよ、音楽なんて素人だ。楽譜だって読めない。だからどうした? ボクはやるんだ。ついに発見した。自分の進むべき道を!」
天気のいい、とっても爽やかな日だった、あの日は。カリフォルニアって、そういう日が多い。
映画館で、全員総立ち
そのころ「グリース」っていう映画が公開されていた。
ジョン・トラボルタの「サタデーナイト・フィーバー」に続く第二弾。オールディーズのロックンロール ミュージカル映画。マイアミにいる時、クラスメイトとダウンタウンの映画館に観に行って驚いた。まるでコンサート会場のノリだ。
映画が始まる前からスクリーンに向かって「ピィーッ」と指笛を吹いたり、「イエーッ!」とカワい子ちゃんたちが肩車されて騒いでる。ザワザワザワ、と会場のざわめきと共鳴するようようにボクの中の「何か」が目覚めた。
映画が始まると館内はさらにヒートアップして、もうむちゃくちゃ。映画のシーンやセリフに合わせて「オーウ」とか「ノーウ」なんて客席がいちいち反応している。陽気だ、アメリカ人ってやつは。
ジョン・トラボルタが出てきた。「ギャーッ」ていう悲鳴に近い絶叫と拍手の嵐。「これ、映画だぜ?」って、友達と顔を見合わせた。
ミュージカルだから突然歌が始まる。映画の中も、客席も、大合唱。聞こえなくなるから、歌うところになるとボリュームが上がるんだ。そんな映画、観たことないよ。「すげえ、すげえ!」面食らってたボクも腰が浮いてきちゃって「イエーッ!」手を挙げ大声で叫んでいた。恥ずかしいなんて気持ちは吹っ飛んで会場と一体になった。心から楽しくなった。「ロッキーホラーショー」とかも、こういうノリなんだってね。とにかくボクはライブ会場の興奮、ノリをこの映画館で覚えたんだ。
LIVE 最高! 音楽最高、なんで今まで興味も無かったんだろう。レコードや映像を通してじゃ伝わらないものもある。この場所に来ないと。
でも、この時はまだ「自分ごと」じゃなかったんだ。単なる音楽の楽しみ方を覚えただけ。
あとはボクが意外にもロックンロールが大好きだってことを認識した。
なぜロックンロールなんだろ?
グリースは、オールディーズでフィフティーズ。でも路上で感動したバンドはもっと激しくうるさく、ハードロックだった。
でも、なんかグリースも路上バンドも同じ匂いのロックンロールを感じる。
あの頃のボクのために、今ボクが解説すると、ブルーノート、つまりブルースコードがふんだんに使われた音楽だからさ。
そしてリズムがもっと激しく、というか踊りたくなる。腰がくねくね動いて跳ね回りたくなる音楽。
そんなロックンロールに、ボクはやられてしまったわけだ。
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