夢を描いてからの、その目的地に到達するまでの地図の描き方
今回のボクのストーリーから、
こうすれば「夢までの遠回りになる」という例を理解できると思う。
簡単に言えば、夢を実現できない人は焦る。とにかく焦っている。
まずは落ち着け。
落ち着いて、今 自分のいる場所を知り、そこから夢までの地図を見て、どうやって辿り着くか。どのくらいで辿り着けるのかおおよその予想を立てながら計画する。
一足飛びには自分の欲しいものにたどり着けない。
現実と、今自分の立っている場所を冷静に見つめて欲しい。
大きな石を砕いて細分化する。とてつもなく大きな課題も砕いてしまえば簡単な作業の組み合わせなんだ。その夢のかけらを毎日クリアしていく。気づいた時には夢がすぐそこにある。
というのが、今回の物語のテーマだ。
具体的なストーリーで考えるヒントをつかもう。
ドキュメンタル STORY で人生をリセット!
〜机上の空論じゃ現状を変えられない。実例からヒントを得よう〜
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SONG-15 神様のすごろく
こうしてボクはストリートバンドと「グリース」にノックアウトされ、さまざまなコンサートやライブを見るようになっていったんだ。
路上ライブで衝撃を受けたバンドには、その後会えない。
探すんだけどバンド名もわからなくて二度と会えなかった。非常に残念・・
だから「グリース」のサウンド トラック盤を買ったんだ。
歌詞を憶えて一緒に歌おうと思うんだけど、歌詞カードは入っていないんだよね、向こうのレコードには。「歌詞は聞きゃわかるだろ」って、そういうとこ不親切だよな。
しょうがないから先生に曲を聴かせて歌詞を書いてもらって、しょっちゅう歌ってた。
ロックだ、ロックンロールだ、グリースだって。そういう話ばかりしていたな。話だけじゃない。歌って踊って、馬鹿みたい。教室の中でも、それをやるからクラスメイトもノッちゃって、ちょっとしたライブだよ。小コンサート。
「陽気な日本人」っていうか、そういう存在になったの。
信じられる? 「ナメられたら殺(や)られる」って人を睨みつけ暗い学生生活を送っていたボクがだよ。閉ざし続けてた心が「パカッ」と開いた。やっと、ボクにも本当の学園生活が訪れたんだ。
アメリカ、この国は音楽の国だ。
第一、言葉のノリ自体が音楽だ。怒りながら歌い、泣きながら リズムをきざむ。だから笑いが絶えない。
ボクは、導かれるようにここに来て、音楽に出会った。その後のボクの人生を変える音楽に。
バンドを作りたい
朝食にドーナツを食べる人々、アイスクリームが大好きなおとなたち。まるで子供がそのまま大きくなったのがアメリカ人だ。でも、そういう点は素敵だと思う。
別に年をとったからって、地味になる必要もないし、偉そうにふんぞりかえって「最近の若いもんは」なんて説教するオトナには成りたくない。つまんない歳の取り方はしたくないんだ。いくつになったってカッコいいオトナでいたい。
いい加減に還暦祝いなんてやめたらいいのに。あんなジジくさい赤いちゃんちゃんこ着て今時、誰が喜ぶんだ? 老人だってロックしてる時代にさ。
バークレーに来てから毎日が本当に楽しかった。勉強もプライベートも。
日々、新しい価値観との出会いの連続だ。
そうやって月日が流れ、ページをめくるように英語への理解が深まっていく。夢を英語で見たり、ちょっとした喧嘩は英語でするようになった。スイッチを切り替えて、英語の思考に疲れたら日本語で考え、日本語で表現が違うところを英語にすると腑に落ちたりということも多少はできるようになっていたんだ。
今はまったく英語を忘れてしまったけど、また勉強すれば感覚は戻ってくるのかな? とにかく、アメリカの生活に馴染んでどんどん吸収していた。
それと反比例するように金は底をついてきた。
このままじゃヤバいと思って、プールの掃除をしてお駄賃をもらったりもした。学生ビザでアメリカに滞在している以上、アルバイトは禁止だ。合法的には稼げないから日本人のやってる飲食店で屋台を出す時に手伝ったりして謝礼をもらうぐらいがせいぜい。
本当なら、そろそろ帰国を考えなけりゃいけない時期にきていた。
でも、踏ん切りがつかない。
未練が断ち切れない理由はわかってる。影響された、あの日のバンドのようなバンドが作りたくてメンバーを探し続けていたから。
インターナショナルなバンドを作りたかった。
でもぜんぜん探せない。何ヶ月も、いろんな人に声かけてメンバーを探しても一人も一緒にやろうってやつは現れなかった。
今考えりゃ、理由がわかる。はっきりわかる。
「夢を描いてからの、その目的地に到達するまでの地図の描き方がへた」だからだ。これは夢が実現しない人、みんなに言えることだけど───
つまり一足飛びには自分の欲しいものにはたどり着けないよ、ってこと。
現実と、今自分の立っている場所を冷静に見つめて欲しい。それから一歩づつ、夢の階段を上がって行くんだ。
じゃ、ボクの場合何がダメだったか。どうして、なかなかメンバーが集まらなかったと思う?
答えは簡単。いきなり十段飛びぐらいで階段を昇ろうとしたから。
神様のすごろく
「日本人がバンドメンバー探してるみたいよ」「ふーん、経験は?」「素人みたい」これじゃ、誰もやろうって思わないよ。考えてみりゃ当たり前のこと。メンバー探せない、って悩む前にまずは一歩一歩階段を昇る計画を立てなきゃ。
大きな石を砕いて細分化する。とてつもなく大きな課題も砕いてしまえば簡単な作業の組み合わせなんだ。その夢のかけらを毎日クリアしていく。気づいた時には夢がすぐそこにある。
あの頃のボクに出来るアドバイスはこうだね。
いきなりメンバー募集なんかするな。まずは音楽を勉強することから始めなきゃ。
といっても、19歳までまったくの音楽素人が独学で始めるなんて無理。出来たとしても、時間がかかり過ぎる。音楽の道を目指してるやつは子供の時から、遅くても中学ぐらいからレッスン受けたりバンド組んだり楽器の練習をしているよ。
この時、ボクは「とりあえず歌が好きだから、歌でも歌うか」ぐらいに思っていた。
え? ボーカル志望だから楽器のレッスンはやらない? 笑わせるな。楽器を学ばなきゃ音楽は永久にわからない。ここを押したらこの音が出る、ってことを理解できなくて何が音楽だ。人間の声なんて不安定で、よっぽど訓練しなけりゃ正確な音なんて出やしない。
甘ったれた夢見るあの頃のボクには、本当にちょっとキツく言ってやりたい。
お金を払ってレッスンに通え。何かの楽器を選んで先生に習うんだ。そうして早く全体像をつかめ。音楽とはこういうものだという実態を把握するんだ。
レッスンに通えば、同じような実力の生徒に出会えるかもしれない。へたくそ同士で練習すれば、へたなユニットやバンドが出来上がる。
いきなりうまい連中とバンドなんか組めないんだから、まずはへたっぴ同士で練習して少しづつ腕を上げて、もうちょっとうまいやつ、さらにうまいやつとグレードアップしているうちに、いいバンドができるよ。
まずは無理なく音楽に近づいてみる。夢に近づいてみる。これが正しいバンドの作り方だ。
本当にあの頃のボクに言ってやりたい。指導してやりたかった。でも、そんな大事なこと教えてくれる人はいなかったから軽い事故に遭ったりする。
「バンドメンバーが見つかったよー」
って呼びにきたアメリカ人がいた。「ほんとに?」ってボクは喜んだ。一緒に来て、って言われてついていくと大学の中のとある教室。入ってみると大勢の人がいた。
「あれ?」と思っていると数人のリーダーらしき人が入ってきて。
「さぁ、主のために歌いましょう。隣の人と手をつないで」
賛美歌の大合唱が始まる。ボクの隣の、黒人の太った大男が感極まって泣きだした。「おお、ジーザス」
まぁ、音楽も素人。英語だってままならない外国人の男が、ネイティヴに混じってアメリカでバンド組もうなんて、そもそもおこがましい。かなう夢と、かなわない空想がある。ボクはそのことに薄々気づき始めていたんだけど、認めたくないから無視しようとしていた。お金も尽きかけているのに・・・
しかし「神様のすごろく」というのは、容赦ない。サイコロの目が出ても居座ろうとするボクを、強引にアメリカから追い出すような事件が起こった。
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