うまくいかない現状を分析し、いい計画を立てれば好転する
バンドを結成したばかりの頃、チケットノルマに苦しめられた。
ロックンロール・ジーニアスは 九人編成 の大所帯だったので、いつもステージ上より客席の方が人が少なかった。
お客さんを呼べないバンド。人気がなかったのだ。
それでもライブをやれば 6〜7 人のお客さんは 来てくれていた。しょぼいバンド。
しかし、
ある日。事件が起きた。
バンドを始めてから、名もないホールでしか やれなかったのに、ある夏の日、ついに「原宿のクロコダイル」からお呼びがかかったんだよ。
出演オファー。
デモ・テープとプロフィール渡して「出してください」って何回も催促してた。でも、「そのうちね」って、やんわりと断られてた。
だってさ、今はわからないけど、当時の「原宿クロコダイル」は、ジョー山中 だとか ゴダイゴ、ショーグン・・ 有名なプロのバンド、ミュージシャンばかりが演奏してた。
アマチュアでも、セミプロみたいな連中だけが出れる 一流ライブハウスだったから、下手くそバンドのボクたちには順番が回ってこなかったんだよね。
そんなクロコダイルの店長の西さんから、
「明日、出演できる?」
と、突然 電話がかかってきた。
ぼくは咄嗟に、
「あ、明日ですか? 演奏できますよ」
って即答した。
本当は メンバーの都合も聞かなきゃいけない。「いきなり明日で、みんなバイト休めるかな?」って不安だったけど、もうこんな ビッグ・チャンス いつくるかわからない。打席に立った以上、「来た球 打つ!」って心境だった。
そして ワクワク しながら念願の「原宿クロコダイル」のステージに上がると・・・
客席に誰もいない。
観客 0人だった。
その夏の日、首都圏を大型台風が直撃した。
外は雨が ザンザン降って、風がビュービューふいていた。だから、当たり前の結果と捉えることも出来る。しかし、そうは思えなかった。ちゃんとしたバンドなら、台風が来たって何人かの熱烈なファンが来てくれただろう。
そういうファンがいなかった。それが現実。悲しい現実だった。
あまりのショックに メンバーはみんな黙り込んだ。どん底に突き落とされた。
こういう絶望は誰もが経験するだろう。
しかし、人生という映画に出演している我々は、ここからが見せ場なのである。主役のあなたは映画を面白くすることができる。行動によって。
観客は、あなたの次の一手を固唾を飲んで見守っている。脚本、監督、主役はあなた。さぁ、この映画を面白くできるかどうか・・ そう思って生きた方が、楽しくなる。
そう思ったら この絶望。悲しみと苦しみの他に、成功へのきっかけをくれる。
絶望の海に沈んでそのまま溺れるか?
もう1つ。ここから這い上がる計画を立てるか?
それによって未来が変わる。我々は絶望を拒否し、どうすれば「台風が来てもライブに足を運んでくれる熱烈なファンを増やせるか?」と考え、計画を立て、原宿の歩行者天国でのストリート・ライブ を始めた。
毎週 日曜日、路上に繰り出し 40分ほどのステージを 1日3回 やり続けた。
するとどうなったか? 再び「原宿クロコダイルに出演すると・・」
詳しくは本文で。
具体的なストーリーで考えるヒントをつかもう。
ドキュメンタル STORY で人生をリセット!
〜机上の空論じゃ現状を変えられない。実例からヒントを得よう〜
ボクについては プロフィール を見てね
SONG-51 ロックンロール センセイ !
毎週。
日曜日になると 早めに起きて、朝 7時ごろの空模様を見る。
雨が降りそうな時には不安になって、天気予報とメンバー同士連絡を取り合って「歩行天ライブ」中止か決行か決める。
なるべく中止にはしたくない。
雨がざんざん降っているなら諦めもつく。ポツン、とたまに雨粒が落ちる程度の天候が一番困るんだ。みんなで集まって、朝の10時ぐらいまで「やるかどうか」話し合う。
微妙なら、大抵の場合 決行だ。
大きなビニールシートを何枚も持って行って、いざとなったら その雨除けシートを機材にかけて被害を最小限に抑える。
実際、何度か ライブ中に大雨に見舞われ 雨除けシートでクルンと「風呂敷のように」機材を包み、命拾いした経験がある。
晴れの日には 8時ごろからスタジオに集合して、重い機材を 階段でえっちら おっちら運び出す。
エレベーターあればいいのになー、とこの時ばかりは思った。音楽機材なんてものは、ギターアンプにしろ ピアノにしろ 「鉄の重り」みたいなパワーアンプにしろ、ヘヴィだ。シールド類、マイクスタンドにしろ。
めちゃくちゃ重い。
その重いのを、女だとか男だとか言ってられない。みんなで ヒーヒー言いながら運び下ろすんだ。トヨタのロングバンが機材車だったけど、荷物を積むとタイヤが沈む。
行きはまだいいけれど、夕方 クタクタになった体で荷物を4階のスタジオに運ぶ時が地獄だったな。でも、そのうち ファンがスタジオまで付いてきて、運ぶのを手伝ってくれるようになったから、だいぶ楽になったけど。
そういう苦労が、目に見えて成果に繋がった。日に日にファンが増えていく。非公式だけど3千人ぐらいの熱烈なファンがいたな。
日曜日。ストリートに行くと、すでに 出待ちファンが 数十名いて。親衛隊みたいなグループがいくつかに分かれて待っててくれる。平日にラジオ聞いてると
「最近、原宿の歩行者天国が バンドブームになっていて」
なんて話をするようになっていた。漫画を読んでも、シーンに原宿が出てくるとき 「ジーニアスがライブしてる」みたいな描写があったり。
完全にムーブメントを作り出していた。
1980年代、原宿「ホコ天バンドブーム」という流行が 確かにあったんだ。
でも────
盛り上がってはいたけれど、体制側の人間にとっては目ざわりになってきたんだ。あのストリート。
『困ったな』っていう顔をして、代々木公園事務所の管理人とか警察の連中がボクの所へ来て、機材をチェックしたり状況を聞いたりしてくる。
ホコ天を中止したいな、っていう大人たちの思惑がチラつき始めていた。
でも、今 急に中止にすれば 支持してくれてるファン達が黙っちゃいないからね。そういう勢いを止めるのは難しいと判断したのか、連中は
「とにかく近隣の住民からも苦情がすごいし、ゴミも散らかってひどい。なんとかしてくれないと、この歩行者天国は閉鎖ってことになっちゃうよ」
それだけ言うと、立ち去った。
でも実際、ひどい事にはなってたんだ。
ボクたちだけの頃はそうでもなかったけど、ボクらが NHK に出演してから ドッとバンドが押し寄せた。ストリートに ボクらの真似をして出没する連中が増えたんだ。
それは、音楽業界が「デビュー前のバンドを出して、雑誌に取材させ」さも、昔からストリートに出ていたバンドのように宣伝してデビューさせる、というプロモーションにも使われるようになったから・・
あれだけバンドが集まると騒音がすごい。ボクたちでも、近くにバンドが居ると お互いの音が混じり合っちゃって聞きずらくなったりしてたもんね。
ステージの脇を自転車で通るおじさんが立ち止まって、話しかけてきた。
「君たち、ジーニアスっていうの? フーン。いや 私ね、この坂を下った富ヶ谷っていう所に住んでる住人なんだけど・・いつも日曜日になると、ウルさいなと思っていたんだ」
来た! 苦情だ・・ ついに住民運動でも起こすつもりかなと思っていると、
「しかし アレだね。さっきの曲、いいね。あのバラード、何て曲?」
意外な展開に、アレッ? と思って、
「ああ・・・アレ、アレね。あの曲は・・・・」
って、いろいろ 話すと。そのおじさん、ニコニコしながら、
「いや、バンドの連中にはマイナスのイメージしか無かったんだけどさぁ、ああいう曲やってるんなら、あんまり苦情も言えないなぁ。うん。俺好きだよ。あの歌」
って、又 自転車に乗って行っちゃった。
その曲は、「使い古しの I LOVE YOU」って曲。
ボクが はじめて作曲した作品なの。シンプルだけど、なぜか人気の高い曲だったね。
そういう言葉って、凄く励みになる。ミュージシャン冥利に尽きるっていうか。有り難い。
だから、苦情が来ないようにしなければいけないと思った。
ステージが終わったら、空き缶ややきそばのパッケージなんかの ゴミを拾う。
機材を片付けながら路上を掃除するんだ。
そうしたら、ファンの連中もそれを手伝うようになって。
メンバーが持ってるゴミの袋にカンを入れにやってくる。
レイギャング が「アリガトウ」ってファンに笑いかけると ファンも嬉しそうに頭をかく。
ファンもボクたちも、ストリートを大事にしていた。失ないたくなかった。
だから掃除して、来週また気持ちよく使うんだ。
新しくファンになる連中って、見ていると解るよ。
「あっ、この客、ファンになるかも知れない。来週も来るな、きっと」
そういう奴は、ファンよりも遠い所のゴミを拾ってるから。ハハハ・・すぐ解る。
拾いながら、古いファンに近づいて何かしゃべってる。それから、教えられてゴミの袋に入れに来るんだ。
「あの。良かったです。スゴく楽しかった」
ってもじもじ話しかけてくる。
目がキラキラ輝いててね、好意をもってくれてるのがわかる。
「あっそう。又おいで」
ハハ。憧れの先輩に告白する女子学生って感じだよ。
ゴミ拾いしてる時だって、そうやって皆が楽しんでたんだ。
ファンって言えば、こんな事もあった。
平日、電車に乗って新宿に行ったの。ホームに降りて、階段を昇ろうとしたら、
「あっ!」
中東の方から来たと思われる男が、ボクの顔を見て大声を出した。
「・・・・・?」
「ジーニアス・・・デショウ? ハラジュク・・・ストリート・・・・?」
ああ、ボクたちを見た事あるのかと思って、
「イエス」
ってうなずいた。
「ボク、スキ。アナタ・・・・バンド」
身振り手振りでね、自分の気持ちを伝えようとしてくる。
「アリガト、じゃ」
って行こうとするボクを引き止めて
「イマ・・・ジカン アリマス?」
って時計を指さすの。
「イロイロ・・・オハナシ、シターイ。ワタシ オゴリマス」
なんだ、喫茶店で話がしたいのか・・
普段はあんまり そういう事には付き合わないんだけどさ、せっかく中東から来て、ファンになってくれたことだし。ここは いっちょう親善大使になっとくか、みたいな気持ちが芽生えて。彼に付いて行ったんだ。
喫茶店にはいるのかと思っていると、ホームの「立ち喰い」みたいな所に入って行く。
ヤキソバを2つ注文してんの。ボク、出されたヤキソバを食いながら、
「しまった。この人 あんまり金持ってないんじゃないのかな。少ない金の中から、無理してオレにおごってくれてるんだ」
そう思って、
「出そうか?」
って千円札を出したんだけど
「ノー。ノー」
って拒絶するから、彼の顔を立てた。10分位話したけど、日本に来てジーニアス見に行ってる時が、唯一楽しい時間だって言ってたね。
歩いてて、突然「アッ」って声出されて、ペコンと頭を下げられて―――
そんな話はいっぱいある。
向こうはこっちを知ってるけど、こっちは知らない場合が多いから、とにかく「どうも」ってアイサツするようにしてた。彼女と歩いてたりする時、そういうことがあると
「知り合い?」
って訪ねられても、
「さあ・・・?」
って答えるしかなくて、けげんな顔をされたり。
その後、中東の彼の姿を客席の中に見つけることがあって。
歌いながら「パチパチ」ってウインクをして、笑いながら合図を送った。
そしたら喜んで、ボクに向かって、
「ロックン ロール センセイ!」
って大声で叫んでいた。
そんなファンが支えてくれるから、ライブハウスに出演しても満員の客が迎えてくれる。
チケットなんか売らなくても 客が入る。超満員。
あれだけ昔、チケットノルマに苦しめられたのがウソのようだ。
でもねぇ、ライブハウスのシステムには疑問を感じるんだ。
結局 店が客を集める努力をせずに、ミュージシャンが連れてくる客で商売してるでしょう?
それじゃミュージシャンは育たないよ。ノルマがきつくて年に数える程度しかステージに立てないじゃん。ボクは、それじゃ駄目だと思って、ストリートに出たんだ。
ビリー・シーンっていうベーシストが言ってたけど、アメリカのバンドクラブは、飲み食いしに来る『バー』みたいな所で。バンドは店側のサービスで客に提供してる。
だからいい演奏をして、人気が出れば どんどん演奏回数が増えるし、反対にダメなバンドはすぐ首を切られる。音の質がいいかどうかが、残っていけるかどうかの別れ道なんだって。
ビリー・シーンは全米のクラブをサーキットして、毎晩ステージに立って腕をみがいたんだって。
「いいよなぁ。そういうの」
って思いません? 日本のライブハウスだと、
どうしようもないバンドが、身内を連れて来て馬鹿騒ぎしたりするから、対バンの客なんか見ないで とっとと帰っちゃうし。イメージもバラバラなバンド同士で出演させたり、
『うまいな、いいバンドだな』って思う奴らは、客を呼べなかったり・・・・
だから知り合いが出る以外で、ライブハウスに行ったりしないんだよ。
客が広がらない。あの当時から全然変わらないな。 日本のライブハウスのシステム。
なんとかならんかね?
まだ新宿にあった頃のルイードとか、渋谷のエッグマン、原宿のクロコダイル。
ボクたち「ロックンロール・ジーニアス」は、一流のライブハウスをファンで一杯に埋めつくした。
特にクロコダイルは、チケットノルマも無く、食事をしながら楽しむ、どちらかと言えばアメリカのスタイルに近いよね。クロコダイル・・・ 覚えてる?
初めてクロコの「昼の部」に出演が決まったものの。その日は台風で。
観客0で落ち込んで、そこから原宿のストリート ライブをやるようになった。詳しくはこちら
で、再び クロコダイルで ライブやったらーー どうなったと思う?
あの日のこと、いまだに覚えてる。強烈な思い出だ。
再び クロコダイルで ライブやったら。
長蛇の列ができて。
店の周りをグルーーっとファンが 囲んだんだよ。
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