時代によって「心地いい」と思うことが変わる
あの時代にヒットした「あの商品」「あのブーム」「あの笑い」「あの歌」
今でも「いいな」と思うものもあれば「なんでこんなものが流行したんだろう?」と首を傾げるものもある。
良いものは普遍的だ、と言う人もいるけれど、やっぱり「時代に合う、合わない」というものは存在するのだ。
そして、あれほど人々が熱狂したものも やがて熱が冷める。
ブームは去るーー
具体的なストーリーで考えるヒントをつかもう。
ドキュメンタル STORY で人生をリセット!
〜机上の空論じゃ現状を変えられない。実例からヒントを得よう〜
ボクについては プロフィールを見てね
SONG-67 バンド解散
TV番組のスタッフから、電話がかかってきた。
ヤマハから紹介されたらしい。
「イカ天という番組をやるんですけど、出演して貰えませんか?」
番組の、制作スタッフだった。アマチュアミュージシャンのコンテスト番組を作るらしい。番組を立ち上げるにあたって、実力のあるグループに最初を盛り上げてもらいたいんだって。
「ヤマハさんから紹介してもらってお電話してるんです。もうすぐデビューが決まってる方に失礼とは思ったんですが」
「いやいや。まだどことも契約が決まってるわけじゃないんで」
「あ、それなら ぜひ!」
プロになる登竜門にしたい、なんて熱く語るからさ。
面白そうだな、と思ったんだけど・・最初の放送を メンバー全員で見て。
「ブッ、何だ こりゃ?」
マコト・クレイジーが飲んでいたものを思わず吐き出して驚いた。
「音楽 バカにしてる! 扱いがコメディアンみたい」
ヤスコ・クイーンも憤慨して
「こんなの出ることないよ!」
って不評なの。へへ、確かに人を食った作りでは あった。
でも、時代には合ってたな。バブル時代の大ヒット番組になっていったんだ。
世の中が どんどんおちゃらけた方向に進んでいたもんな。TVが先頭に立って、そういう番組を作り出したんだ。
なんでもお笑いにしちゃうような風潮。いまだに続いてる・・
でも、その笑いには、ぞくりとする悪意を感じてしまう。
人が楽しくなる笑いというよりも、誰かをヤリ玉に上げて 自分の優位性を確認するような、意地の悪い、屈折した 笑い。社会を象徴している。「いじめ」の構造だよ。
ボクたちは出演を断ったけど、その後 番組は大ブレイクしたよね。いいバンドも出てたけど、おふざけバンドも多かった。時代の空気に合ったんじゃないの? 悪ふざけのバブル華やかなりし頃だ。エロ番組とかさ。
そのイカ天に、原宿のストリートバンドが出たから・・・
さらにサンダーロードにバンドが増えてきた。
もう隣の音がうるさくて、演奏が出来ない程ひしめき合ってる。
「バンドブーム」になったんだ。正確には、「タテノリ」バンドブーム。スカなのかな、アレは。
ファンもバンドも ぴょん ぴょんジャンプしてる。新手の新興宗教みたいさ。
トミノスケと 速弾きヒカル の広島時代の仲間で、T って奴がいて、「シーク」ってバンドを組んでた。最初、ジーニアスが歩行天ライブをやり出した頃、馬鹿にしてたんだよ。
「こんなことやって・・・・ミュージシャンじゃないよ」
って。でも、ストリートが盛り上がってくると、連中も歩行天に出だした。
ボクたちも、機材を使わせてやったりして、協力してたけど。そのうち、機材屋からレンタルして、毎週出てくるようになったんだ。
で、ブームがきて。そしたら「シーク」
突然、髪の毛を紫とか赤とかに染めて、タテノリバンドに変身しちゃったんだ。驚いたよ。
それまでは、全然違うことやってたんだよ。
ある日突然、可愛い子ブリッ子の服着て、ファンとピョンピョン飛びはねてんの。
笑っちゃうって言うより、恐かった。 いい年してんだぜ。オレたちの年代な訳だから・・
タテノリって、あれは若い奴らのサウンドなんだ。
ヘタで、元気で、おもちゃみたいな所が面白かったわけでしょう?
いくらブームだからって、自分たちのサウンドを見失い、ポリシーを捨てたら その先に何があるの?
彼ら、CBSソニーからデビューするチャンスをつかんだから、確かにもくろみ通りではあったんだろ うけどね。でも、あっという間に消えた。
大人が子供に合わせていくから、いつまでたっても子供が成長していけない。そうでしょ?
何のためのキャリアなの? タテノリでバンド始めた子供たちが、本当の意味で音楽に目覚めるキッカ ケになるような、カッコいいバンドにならなきゃ。
実際、ストリートはひどい状態だったよ。
業界が仕掛けて、売り出そうとしている奴らが増えて。機材が凄い。武道館コンサートやるようなシステム組んで。
そんなことが あちこちで行われて、まるで業界のデビュー宣伝の場になっちゃったんだ。
あの頃は、権力とマスコミがくっついて好き放題、やりたい放題の時代。国民はTV に洗脳され ヘビーローテーションで権力者が売りたい曲ばかりテレビからも街の有線放送からも流れる。
この頃からテレビ見なくなった。その後にやってくるインターネットに駆逐されるまで マスコミ主導でブームは作られていったんだ。
ストリートにトレーラーで乗りつけて、 オペレーターが何人もつくようなPAで爆音。
そのバンドのファンだけが 各グループの周りを取り囲み、閉鎖的な楽しみに変わっていく。
やがて一般客は訪れなくなり、バンドは増える一方。
もう、騒音垂れ流しで 音楽は消えた。
大騒音に負け、ついにボクたちも撤退せざるを得なくなったんだ。
バンドブームが起こっても、ボクたちは流れの外。
それどころか自分達が作り出したムーブメントに追い出されるなんて・・・皮肉なもんだ。
クロコダイルの西さんが、マスコミの取材に答えていた。記者に
「今のバンドブームをどう思いますか?」
って聞かれて、
「ブームは去る。単なるブームなら、ミュージシャンのためにはなりませんよ。音楽って そんな 一過性の物じゃない」
と、雑誌に語っていたのが、印象的だ。
ボクたちの、あの何年もの汗は、「歩行天バンドブーム」という代名詞に代わり、いつの間にか 「ロックンロール・ジーニアス」の 名前は 削除されていた。
原宿・歩行天・バンドブームっていうのは、今じゃ タテノリバンドのブームだった、って思ってる人達 多いんじゃない?
何だろう? ボクたちは現象を作り出しただけで、結局 何の権利も収穫も発生させることが出来なか ったんだ。あの頃の活動に、「特許」を取るわけにもいかないだろ?
そして、時代に追われるように、活動の場を失っていく。
いろんな場所にステージを移して活動は続けた。
でも、もう以前ほどは受けない。タテ乗り と、昭和の時代にメジャーを手にしたバンド以外は、主流じゃないんだ。既に栄光を掴んでいる連中か。タテノリ。
昭和の時代に「ファンを増やしていたバンド」は、そのファンを大事に、その支持を広げていく作戦をとった。業界に頼らず、ファンを増やしていく戦法を取ったのだ。
今にして思えば、そういうバンドだけが、あの時代でも生き残って戦えたんだ。
音楽業界にバンドの命運を握らせたバンド(ボクらロックンロール・ジーニアスもそうだ)は、いいように振り回され空中分解して終わりを告げた。「業界がなんとかしてくれる」時代は 1970 年代まで。それ以降は「自分の力でファンの支持を増やす」本物か、業界が作り出す「人形」だけが表舞台に出て来れた。
「戦略によって明暗がハッキリ分かれた時代」だった。
タテ乗り に代表される テレビが作った「ブーム」 と、昭和の時代にメジャーを手にしたバンド と、業界に頼らず「自分たちでファンを増やした」バンドの時代。
そうねぇ・・タテノリ以外であの頃 流行ってたのは・・・
ブルーハーツ、リンドバーグ、BOØWY、バクチク
海の向こうでは モトリー・クルー、ガンズ&ローゼズ・・・
忌野清志郎の「雨上がりの夜空に」って曲がやたら街中に流れていた。そしてバブルの喧騒。そういう時代だよ。
「カズ、しばらくは耐えるしかないぞ。当分、この状態が続く タテノリブーム」
ライブハウスのスタッフに言われて。恐怖に近いプレッシャーを感じて、叫び出したくなる。時代との“ズレ”を肌で感じる。
昭和、じゃないんだ。平成なんだ、もう・・
何をやってもうまくいかない。世の中の空気、流行というものが、これ程の力を持つ物だとは思わな かった。
曲作りの時ーー
「また C コードかよ。ロックじゃないんだよな、それじゃ。もっとオープンコードを多用して・・」
マコト・クレイジーが吐き捨てるように言うから ボクも、
「うーん、でも そこのアレンジだと歌いづらいんだよ」
「いつまでも歌メインじゃなくて、ギターメインで考えてくんない?」
「歌いらねー、ってことかよ」
カチンときてボクも言い返す。
「・・・・・」
イライラしていた。
状況が悪くなれば、バンド内の不協和音はさらに強まる。また はじまったんだよ。メンバーの争いがさ。人のこと言えない。ボクもギスギスしてる。
ボクは神経症のようになって、心がカサカサにかわいて・・・・・
雑誌に載っていた「性格判断」をやってみたらさ。
「あなたは病気です。心が異常に疲れています」
って診断が出て、思わず苦笑いした。
でも、本当に病気だったのかも。あの頃、海にばかり行ってた。
砂浜に座って、波の音を聴いたら心が癒される。だから日が暮れるまで海を見ていたり・・・
ほとほとグループというものには疲れた。
熱い夏の日が・・・・ いつまでも続くとは思ってなかったけど 振り向けばすっかり秋も終わりを告げ。
凍えるような雪の中に立ち尽くしていた。
解散。
それは 訪れるべくして来た、当然の結果だろう。
すっかり少なくなってしまったファンを集めて、解散ライブをやったんだ。ホント少なくなってたよ、 何百人もいた熱狂的なファン。おそらく 2,000 人ぐらいの ファン がいたけど。
消えていた・・・
ヤマハの渋谷店の、小さなホール。オーディションを勝ち抜くスタートとなった記念すべき場所――――
そこが、ボクたち「ロックンロール ・ジーニアス」の最後のステージになった。
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のちに、この時の思いを Cowboy Blues という曲にした
バンド・バージョンと プロデューサー ケーシーランキン氏が
アレンジしたバージョンがあるが、今回は バンド・バージョン を聴いて欲しい。
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第4章「ロックンロール ジーニアス」 編 終わり。
= 次回より新章突入。 第5章「業界」編 へつづく =
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