音楽コンテストで優勝し、アマチュアの頂点を極めたものの、時代が変わり転落。
それでも前進すると、やがて音楽メーカーと契約するに至る。この章では、
音楽を職業にする「プロの世界」
について書いていく。華やかなプロの面の顔は知っていても、
その裏側は、知らない人が多いんじゃないか? リアルな体験をこの章で詳細に解説していく。
具体的なストーリーで考えるヒントをつかもう。
ドキュメンタル STORY で人生をリセット!
〜机上の空論じゃ現状を変えられない。実例からヒントを得よう〜
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SONG-68 「歩行天」閉鎖
第5章「音楽業界」編 第一話
ロックンロール・ジーニアス がストリートを去って―――
しばらくしてから、「原宿パフォーマンス通り」の歩行天が中止になった。
マスコミが、「若者の自由表現の場を奪うのはおかしい」って騒ぎたててたね。
行政指導に対する反対の署名運動が起こったり、キャンペーンライブが企画された。
ボクの所にも来たよ、ライブに参加してくれって。
参加しなかったけどね。
ボクは思うけど、アレは閉鎖されるべくして閉鎖になったんだ。
例えばゴミの問題。スゴいことになってた。散らかり放題で。
日本堂の屋台のおじさん達が中心になって、バンドに呼びかけて掃除させたりしてたけど、思った程の効果は上がらなかったみたい。
あと、騒音に関しては、もう深刻で。色んなバンドの音が混じり合っちゃって、楽しめるような状態じゃない。だから、どんどん豪華なPAシステムを組んで大音量競争になっていた。
付近の住民は、ノイローゼになる人とかも出ちゃったでしょう?
中止を要請したくなる気持ちもわかるよね。
そんな状態だから、客層はガラリと変わり、一般人は避けて通るようになってさ。
ホームレスを追い出すための柵が出来、大量に集まって来るイラン人と それを追い出そうとする行政との知恵くらべがはじまったり。あの場所自体が、ドロ沼の様相を呈してくる。
何度か気になって、サンダーロードを訪れてみたけど、もう昔の面影は無かった。荒れちゃって。変わり果てた恋人を見るみたいで、心が痛む。
結局、大事にしなかったからでしょ?
あの場所で、客と出逢って立ち止まらせて。「音」でコミュニケイションとって、楽しませて・・・ 週に1度の大事な空間だった訳だよ、ボクにとっては。
でも、その後に出て来たバンドマンに そういう気持ちがあったのかな?
「売れるまでの我慢だぜ。こんなシケた所、早く抜け出してやる」
くらいに思ってた連中、多かったと思うよ。だから、乱暴に扱って、ぐちゃぐちゃにして
「関係ねぇよ」って、とぼけられる。
イソップかなんかの話じゃないけど、ハンターに追われた鹿が、ブドウ畑に逃げ込んで。
「助かった」と思ったんだけど、自分をかくまってくれてるブドウを食べちゃってさ。
身を隠す場所がなくなって見つかって撃たれちゃう。
ライブハウスみたいに、チケットノルマも無くて。客はひっきりなしに通るから、いい演奏さえ聞かせれば どんどんファンを増やせる。
そういうミュージシャンの味方のブドウ畑だったんだけどね。あそこは。
閉鎖されてから。
静かになったストリートを歩いてみたんだ。
ゆっくりと昔の場所に行ってみた。NHKと原宿の駅から富ヶ谷に続く道路の交差するあたり。
そこにボク達の溜まり場があった。
「アレ? リーダー 久し振り」
テキ屋のおじいちゃんに声をかけられて振り向いた。
前にも話したけど、ジーニアスのステージの真後ろは、凄い売り上げだったでしょう?
で、ナナメ後ろの屋台は、おじいちゃんが1人でやっている。
ポパイみたいな顔した、おじいちゃん。
そのおじいちゃんとこの屋台も ボクらのバンドの影響が出て、売り上げがぐんと伸びたんだってね。喜んでくれてた。
年金もないんだよ。おじいちゃん。
それでも行けば、ビールとか くれようとするんだ。「いいよ」って言っても、
「いいから。いつも助かってるから」
って押しつけるの。
なにもおじいちゃんに貰わなくたって、差し入れ すごかったからね、当時。でも、「じゃあ、ゴチになります」って受け取って。
ボクが飲むのをうれしそうに見ながら、焼きそばを焼いてるんだ。
「いやあ、俺も若い頃は、リーダーみたいに肩で風切ってた時代もあったんだけどなあ」
って。そういう・・・・ バクチの世界じゃ有名な人だったらしいね。
「女房、子供泣かして、どうしようもなく悪いことしてきたから、今こうしてバチが当たってるんだ」
ってニコニコ笑ってさ。笑顔がカッコいいよ、ああいう現役のジイさんは。
で、ストリートが閉鎖になって。まだポツン、と屋台やってた。でも、誰も客がいない。
冬だったかな? ビールを買った。
「寒くてつらいね」
ってちぢこまりながら ボクが言うと、
「おたくらがいてくれた頃は、良かったよー」
って。
「今じゃ、まともに食ってけんわい」
ってぼやくの。そういえば心なしか、やせたかな?
こういう老人には寒いよね、世間の風は。
ボクたちのやっていた事は、いろんな人たちの生活とも結びついていて・・ そうか・・そうなんだ。
簡単に考えていたけど。ボクたちの音楽は巨大なエネルギーとなって。良くも悪くも多くの人を巻き込んでいた。
たかが音楽・・なんてボクには言えない。ミューズ(音楽の女神)は確かに「そこ」にいる。
それから 又、何年か経って―――
その場所に行ってみたら、もうきれいに片付いて。屋台もおじいちゃんも いなくなってた。
どこに行ったんだろう?
今も元気にしていて欲しい。
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