人生の質は「負けをどう捉えるか」で決まる
いわゆる「老害」と言って年だけ取って人間的に最悪の人がいる。
一方で、歳を取ればみんなが「老害」になるわけではない。
もっと言えば「歳を取ろうが若かろうが素晴らしい人はいるし、情けない人間もいる」
この差はなんなのか?
それは
人生で負けに直面した時、どうするか?
の違いなのである。
「経験」は生きていれば誰でもする。 良い経験、悪い経験。成功体験、失敗体験。勝利、敗北。
生きてきた人が もれなく体験できるのは、「負けた経験、失敗経験」だ。失敗なら、誰でも経験できる。
問題は、「負けた後、どうするか?」である。負けることは誰でもできるが、そこから「改善」したり「立ち向かったり」する行動が重要なのだ。
だから長く生きてようが関係ない。失敗経験で終わっている人に偉そうになど、されたくない。
ところが、こういう「失敗しかしたことがない」人間に限って人にアドバイスしてこようとする。偉そうにふんぞり帰って「若造、俺の話を聞け」と、お節介を焼いてくる。
「一番アドバイスしてはいけない者」の説教など無視していい。
長く生きればいい、と言うものでは決してない!
一方、若くして成功している、たとえば 野球の 大谷翔平 選手やボクシングの 井上尚也 選手の話や生き方には大いに注目する価値がある。
「若くして成功した人が偉い」と言う風潮があるが、それも違う。
若かろうが歳をとっていようが、有名だろうが無名だろうが関係ない。
価値ある人、と言うのは「失敗を失敗のまま終わらせなかった人」
失敗を乗り越えて成功したり、成功までいかなくても「経験値を積み、何かの教訓やノウハウをたくさん持っている人」のことだ。こう言う人は素晴らしい。
人は、「挑戦すれば、たくさんの失敗をする」
そこで終われば、そこまでの人。
そういう生き方の人は、すぐわかる。口癖があるのだ。
「そっち行っちゃダメよ、危ないから」
「そんなことやっても失敗するからやめなさい」
聞いていて気持ちが暗くなる。
その人にとっては、失敗しかしていないから、何かに挑戦するなんて怖くて仕方ない。だから何もせず、じっとして変化の少ない人生を送れ、と強要してくる。
こういう人とは適切な距離を取りたい。自分が成長しないから。大事な人生がしぼんでしまうから。
一方、若かろうが歳だろうが「失敗した後に、そのままにしない習慣がある人は輝いている」
こうやって失敗したけど、こうやったらどうだろうか? ・・・やっぱりダメか。じゃあこうやったら?
いくつか方法を試し、改善するうちに成功する。
そういうもんだよ、人生は。
成功の前には、失敗する。そう思っていれば気が楽だ。
1回やったぐらいじゃ、滅多にうまくいかない。だから、失敗してからが勝負。うまくいく方法を探すんだ。あれこれやってみる。もがいてみる。
成功者は、みんなそうやっている。
そういう試行錯誤をして、自分なりの成功に辿り着くために ボクらは生まれてきた。
もちろんどうやってもうまくいかないこともあるよ。自分に合わない分野だったり、今の実力では突破できなかったり、全く間違えた方向に進んでいたり、間違った努力をしていたり。
いずれにしても、失敗で終わらせず、その後も取り組んで試行錯誤したか?
これが人間を成長させる。これこそが、その人の価値である。
若くてもそういうトライ&エラーをいくつも経験して大谷翔平 選手が出来上がっている。
全くそういうことをせず、酒場で若いヤツにクダ巻いて説教するのが老害だ。
具体的な例を見せよう。
今回の物語は、ボクの弟が、そういう失敗からの復活を何度も達成したお話。参考になれば嬉しい。
具体的なストーリーで考えるヒントをつかもう。
ドキュメンタル STORY で人生をリセット!
〜机上の空論じゃ現状を変えられない。実例からヒントを得よう〜
ボクについては プロフィールを見てね
SONG-73 香港の弟
親心、マルチ心
おふくろがさ、やけに色んな物を送ってくるようになった。
「これ使いなさい。体にいいから」
「これ、車に貼りなさい。事故起こさないように守ってくれるから」
金ピカのシール。
なんじゃこれっていうようなの。高いんだよ、ただの金ピカのシールが。
入れとくと 物が腐らないとか、色んなこと言ってた。
マルチ講だよ、あれって。
へんな ナベとかビタミン剤みたいのを、いっぱい売ってんのか 買ってんだかしてた。
小びんに入った水とかね。
送ってくれる気持ちはうれしいとしても。親心は わかるけど・・・ 正直言うと、いい迷惑だ。そういうの、全然信じちゃいないから。だってさ、そういう いかがわしいマルチみたいなものに ボク、メンバーを何人も奪われてきた。
「とりあえず、金 儲けてから バンドに戻ってくるよ」
とか言って、それっきりだった 大昔のメンバー、何人か いる。役者。スタッフにも何人もいた。
そういうのにハマっちゃうと、もう絶対に戻ってこない。「ああ、またか」と寂しくなる。
せめて、そっちの世界で成功してくれって思うんだけど。何年かして、仲間の消息がわかると、もうぜんぜん別のことしてる。音楽も金儲けも辞めて、あんまり楽しそうじゃない彼らの近況聞くと ガッカリするんだ。まぁ、流されやすい連中の性格が不幸を招くんだとしても・・ 「友達を奪っていくビジネスシステム」って、どうなのよ。
経済至上主義なら、何やってもいいの?
だから拒否反応がハンパじゃない。怒りがこみあげてきて、体が震えるんだ。そういう気持ちがあるから、おふくろに言う。
「マルチなんかやめた方がいいよ」
「マルチじゃないわよ。これは本当にいい物なの。変なのと一緒にしないで」
マルチにはまってる奴って、必ずそういう言い方をするね。
もう人のアドバイスなんか、聞く耳もってない。完全に洗脳されちゃって、アッチの世界に行っちゃってるんだ。悲しい。おふくろ、昔からそういうの好きだったから。オヤジが船乗りで、給料が良かったから小金をたんまり持ってた。
すると、そういうのが近づいてくる。「良いものを人に勧めて儲かる。だから、あなたと世の中のタメよ」みたいな誘惑。
でもさ、コンビニで 千円 ぐらいで買えるサプリが、1万円するのはなぜ?
そこに上の方の連中の利益がたっぷり上乗せされてるからじゃないか。そういう稼ぎ方、友達失くすよ。
そりゃあ だまされる奴が悪いさ。
でもね。人間って、不安で寂しくて、何かにすがりつきたいんだろ?
おふくろもさ、思い通りにいかない人生で。
子供はみんな 世間一般の「真面目」な暮らしからははずれてるし。
それにひきかえ 親戚の子供は、大学教授になったり、医者になったりで うらやましさもあるんだろうね。
自分はけっこう我がままに、おやじの高い給料で不自由なく生きてきたつもりでも、充たされないものが 大きくふくらんで来たんじゃないの?
そーゆーのに つけ込む奴ら、許せない。
いくら経済至上主義で、法律にふれなきゃ ぎりぎり悪いことでも何でもやっちゃうみたいな。
そーゆーの大きらいなんだよ。
だけど不思議だ。
「今はおやじだって年金生活だし、そんなに羽振りいい訳ないんだけどな?」
疑問に思ってたら、金の出所はボクの弟だった。三歳年下の弟。
香港で金持ちになった弟
あいつ、香港でタオルとか靴下とか。シルク製品の生産販売をやって大成功していたんだ。
何年か前に会った時には、まだ 日本のアパレル会社にいて。
そうだ、丁度ボクが 原宿のストリートで たくさんのファンに囲まれてた頃だよ。
見に来たことがある。原宿まで見にきて、
「兄貴も大変だなぁ、こんなところで ごろごろ転がって、フフ・・歌って」
あまり仲のいい兄弟じゃない。根深い確執ってもんがあるんだよ ボクたちには。
これはオヤジのせいでもあるなぁ・・ いや、オヤジはいいヤツなんだけど。ちょっと抜けてるとこがある。
小学校の高学年の頃。行動範囲が広がったから 友達と「冒険旅行」みたいにいろんなとこに行くようになった。少し離れたところの山の中に秘密基地 作ったりとか。隣の街の川を上流の方まで登って行ったりとか。途中で面白い形の建物を見つけたりね。
とにかく、成長期で行動範囲も広がり、自転車が欲しくなったんだ。
で、オヤジに「自転車買って」って言ったの。
隣で聞いてた弟が、
「あ、ボクも自転車欲しい」
「だったら、1台買うから 2人で仲良く使いなさい」
とか言うわけ。
えっ、となる。
何度も言うけど、オヤジは高級取りなわけ。自転車ぐらい10台買ったって、びくともせんわ。なのに・・
「2人に買うのは贅沢だ。1台買うから仲良く使いなさい」
と、もっともらしいこと言う。それ、どういう意味だかわかってんの?
学校から帰ってくるの、弟の方が早いんだよ。
だから、いつだって弟が乗って出かけてる。ボクが帰ってくると自転車はない。仲良くもなにも、ボクは使える時がないんだから、弟の自転車じゃん。ボクが買ってって言ったのに、弟に取り上げられた。理不尽な「不平等条約」
それを訴えても、「仲良く使いなさい」って言ったきり、オヤジは船に乗って行っちゃった。クェートあたりに石油を積み込みに行って留守なんだよ。タンカーの機関長だから。次帰ってくる一年後まで 交渉できない。そんなことばっか。
1〜2度しか乗ったことないよ、親父が買ってくれた自転車。
そうなると 弟への恨みも つのる だろ? 自然と仲の良くない兄弟関係が出来上がる。
ま、もっといろいろあるけど。そこらへんの話は機会があればするとして。
アパレルの会社にいた弟は―――
その後、香港支社に転勤になった・・って話は聞いていたけど。まさか 今までの経験を生かし、現地で独立して、金持ちになっているとは知らなかった。昔からそういう所、あったよね。自分より全然年上の、大人たちの中に入っても物怖じしない。可愛がられてさ、いつのまにか高いお菓子買ってもらってたりするんだ。才能だな、あれは。
ボクは人見知りで大人に好かれない子供だったから・・ハハ、正反対。
で、彼は知らないうちに金持ちになっていた。
親からある雑誌を見せられたらさ、弟が載ってる。
「香港で成功した 若き経営者」ってタイトルでね。
「へー」って感じ。 「いつの間に?」
「あまり仲のいい兄弟じゃなかった」から、お互いの状況を知らなかったんだ。
弟は弟で、平坦な道じゃなかったらしい。
勤めてた会社で アパレルビジネスを学んだ後、転勤になった香港で独立起業。
香港のシルクを使った5本指ソックスなどがヒットし、あっという間に 年商で億を超える成功を納めた。
これに気を良くした彼は、香港の工場を買い取り、製造から販売までを一環で行う「シルクアパレル・メーカー」としてさらなる飛躍を狙った。
ところが落とし穴が待ってたんだ。
買い取った工場の 前のオーナーは、いわくつきの「香港裏社会」の女帝。工場には多額の負債がついていて、契約書には、その負債も一緒に引き継ぐこと、との但し書きがついていた。契約書にサインをし、ちっちゃく書いてあった危険条項に気が付いた時には 後の祭り。
完全に罠に嵌められ、彼は金持ちから借金まみれに転落! 連日、会社に香港マフィアが押し寄せ
「海に沈める」
と脅され、マフィアと同じような怖モテの香港の弁護士からは
「返済が終わらない限り、日本には返さない」
と凄まれた。
会社に連日 怖い人たちが来るから、従業員も怖がって辞めていく。
絶体絶命のピンチ!
しかし ここから、弟は 奇跡の逆転劇を 起こす。
香港のシルク製品は縫製が悪く、不良品が多いことに目をつけた 弟は、知り合いの 工場を回って 不良品のシルク製品を「タダで集め、売れたら正規品の10分の1の金額を払う」という約束で在庫を確保する。
不良品、粗悪品と言っても、ボタンが1つ取れてるとか、糸がほつれてたり、色が多少くすんでるとか。日本人みたいに丁寧じゃないわけ。アバウトに作られてるのが製造過程にいくつも混じってる。確保した在庫を吟味して、そのまま売れる物はそのまま。手直しして売れる物は手直しして店に並べた。
もちろん、それを正規品として売ったら詐欺だけど、「アウトレット」として売る分には構わない。
まだ「アウトレット」という言葉も知らない人が多い頃、「香港のシルク製品が半額で買える店」という切り口で販売した。どこが、どう問題があって「アウトレット品」にしたかの説明書も添えた。
しかもそれを、香港人に売るんじゃない。日本人に売る、という目論見があった。知り合いのツテを頼り、日本の航空会社の「ツアー旅行客」の立ち寄り先に、彼の店を組み込んでもらった。
日本人旅行者を相手にしたアウトレット販売に切り替えたのだ。
おりしも、日本では「香港旅行ブーム」が巻き起こり始めていた時代ーー 香港のシルク製品が半額で買える店がある、と旅行者の間で評判になり、連日 弟 の店はツアー客でごった返す。そして・・・
一文なしで借金まみれだった 弟は、あっという間に借金を返済し終え、工場を買う前の数倍の年商にまで盛り返した。大逆転劇を起こしたのだ。
それがこの時期。ボクと何年振りかで再会した頃の弟だ。
日本に 超高級マンションを買って、別荘にして。バカンスで 年に何ヶ月か 日本にも帰ってきていた弟。
ハッピーエンドと、言いたいところだが。この話には続きがある。
この時期、ボクが 日本の「弟のマンション」で会って、その豪華さに驚いたのが 1993年 だったか、1994年ごろ。
それから何年か経って「香港が中国に返還」されると、弟の会社は 再び経営が傾き始め、最終的には ほぼ無一文で日本へ帰ってくることになる。離婚して、店や工場の大半を売り払って残った有り金全部と、奥さんと子供達を香港に残して、全てを失い1人で帰国した。行くあてもないから、親父とおふくろが住んでいた目黒区のマンションに転がり込む。
無一文では仕入れをするお金もない。どうするか? 考えに考え、フト見ると おふくろが怪しげな商売の真似事をしている。サプリメント。化粧品。洗剤・・
最初は、おふくろの手伝いとしてやってみた。無一文で、おふくろが買って仕入れた商品の販売の手伝い。
弟は話が上手い。ルックスも派手で、ちょっとワイルドなイケメン、というルックス。商売をやっていたから、ノウハウもある。
たちまち売れ始めた。ありえない売れ方。
すると 驚いたその会社の幹部だか社長に呼び出され。うちの会社の「顔になってくれ」と祭り上げられ幹部数人と「弟のチーム」が作られる。昔から弟は、年上に可愛がられ神輿に乗るのが得意だった。
そうやって作られたイメージで、弟は売り上げをどんどん伸ばし、幹部になっていく。日本では敬遠されがちな「MLM」つまりマルチの世界に飛び込み、必死で働いた。すると 年商が億を越え、おふくろが1年やってもダメだったサプリメントの販売で大成功し、無一文から2年で「六本木ヒルズ」に住むまでに復活する。再びお金持ちに返り咲いた。
ボクは、マルチで失敗したヤツしか見たことなかったけど、弟で初めて「その道でも成功者がいる」ことを知った。まぁ、弟は特殊だと思う。ビジネスに関しては、窮地に追い詰められても、再び金持ちになるノウハウが身に付いているのかもしれない。話は長くなったけど。
ま、それは後年の話。
今は、「香港が中国に返還」される前に出会った 弟との出来事を話そう。
留守番電話
バンドが「本格始動態勢」になってきた。
トミノスケとセッションしたんだ。ジャストすぎる所が 物足りないけど、相変わらずリズムは正確だ。
最近セッションした中では、ダントツだな。
「カズさんの言う通りですねぇ、トミノスケ。なんか変わったって感じ」
他のメンバーも気付いたみたいでさ。考えた。
「もしかすると、今度一緒にやれば うまくいくかな?」
そう思って全てを許して戻したんだ。
———って書くと、いかにも簡単で過去の教訓を忘れて流されてるみたいだけど。
実際にはすごく警戒して何度もスタジオでセッションしたり話合ったり飲みにいったり音楽性、方向性を確認したりという作業をくりかえし・・「これで駄目ならお互いに納得できるな、笑って別れよう」という時間をかけた経緯があって彼を戻したってことさ。
ROCK’N ROLL Kaz
「バンド名 どうしようか?」
いろいろ話しているうちに、誰かがポツリ と言った。
「いっそのこと、もう一度。“ジーニアス”でやりません?」
その提案はドキリ、と皆の心を わしづかみにしたんだ。
「そうだ。それでいこうよ。まだジーニアスでやり残してたこともあるし」
「メンバーも、当時の顔ぶれだしね。再結成だ」
「第二期 ジーニアスだね?」
第二期 ロックンロール・ジーニアス
妙に盛り上がったな。
「よし、次のステップだ。色んな所に売り込もう」
そのためのデモテープを作りたいけど、金がない。
「どうしよう?」ってメンバーと話してたら、弟の顔が浮かんで。そう、香港で金持ちになった弟。
1年に何度も日本と香港を行ったり来たりしてるみたいでさ、ちょうど今 日本に戻ってるっていうから。頼みに行ってみた。
「スポンサーになってもいいよ。その代わり そのデモテープ、俺に預けてくれる?」
弟が言った。
「え?」
「いやさ、兄キも苦労してるみたいだし、少し俺の“運”を分けてあげようかと思ってさ。俺、音楽業界の知り合いも多いから」
「あ、それはどうも」
ボクにとって、そんな話はどうでもよかった。業界の誰々さんを知ってて・・・・紹介してあげるよ。みたいな話、今までさんざんあった。でも、そういうのって 発展していかないんだよね。
出来たデモのマスターをダビングして、弟にそれを渡した。
話はこれで終わりの筈が・・・
仕事から帰ってくると留守電が入っていた。
留守電のスイッチを押すと。「キュル キュル」ってかなり長く巻き戻される。
「もしもーし。耕次ですゥ。」
弟からの電話なわけ。
「えー、実は 例のテープ、業界の人に聞かせたら評判がいいんだよ。一度逢ってみない? 六本木なんだけど・・・・とにかく至急連絡ください」
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