SONG-85【ラジオから流れてきた、自分たちの曲】 地方ツアー

SONG-85-main-visual-Our-original-song-played-on-a-radio タイトル 「SONG-85 地方ツアー」 古ぼけたカーラジオ。本から溢れ出す音符の画像。 テキストメッセージ 「そうしたらオレたちの曲が。デビュー曲が。ラジオから流れてきて」
あの「ビートルズ」でさえ苦労したデビュー曲

「作られたもの」以外が表舞台に出る難しさ

ビートルズのデビュー曲が「ラブ・ミー・ドゥ」であることは、多くの人が知っているだろう。

彼らは「天才でなんの苦労もなくデビュー」かと思ったら大間違い。

やはり彼らも デビューまでに幾つかの辛酸を舐めている。以下、3つのエピソードを紹介する。

three drummers

デビュー曲を3人のドラマーが叩いている

実はこの「ラブ・ミー・ドゥ」

1962年6月6日に ビートルズが「音楽プロデューサーのジョージ・マーティンのオーディション」を受けた時に演奏した曲だった。

その時の「デモ・録音」は ピート・ベスト という ビートルズ初期のドラマーが叩いていた。

しかし、ジョージ・マーティンは「バンドに於けるドラマーの重要性にこだわっており」ピート・ベストのテクニックとセンスに大いに不満だった。だから別のドラマーに変えてデモ音源を作り直そうと考えた。

本来であれば バンドメンバーはドラマーを守る側に動きそうなところだが、ジョン・レノンやポール・マッカートニーは ピート・ベストと折り合いが悪くなっていた。相性が悪いのか性格が気に入らないのかテクニックの問題か・・一説には 「ルックスが良すぎて他のメンバーが目立たなくなるから」という説まである。とにかく彼らは ドラマーを取り替える「いい きっかけ」を得たのだ。

その頃 半分プロの道を進んでいた リンゴ・スターが次の「ビートルズのドラマー就任」するわけだが、彼はとてもカッコよく見えた。

ビートルズのメンバーに先んじて、すでにプロとしてドラムの仕事をしていたわけだし、テクニック的にもピカイチだ。車も持っていて リンゴ・スターという芸名までつけている。

young man riding a classic car

ジョン・レノンやポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスンにしてみれば「自分たちの理想」を先に叶えているように見えたわけだ。

で、9月4日に次のレコーディングがあり。

ジョージ・マーティンは、レコーディングでスタジオに現れたリンゴを見て バンドのドラマーが変わったことを知り、驚く。

とりあえず演奏させてみるが「さすがのリンゴ・スターも」プロとはいえ、まだ駆け出し。有名プロデューサーの前でいきなり演奏となれば ガチガチにあがって本来の実力が出せず。

プロデューサーの合格をもらえず、結局 控えていた プロのセッション・ドラマーのアンディ・ホワイトでレコーディングは完了した。この時、リンゴ・スターは 屈辱の「タンバリン係」に格下げされ相当悔しい思いをしたそうだ。

つまり、「ラブ・ミー・ドゥ」は、ドラマーが異なる3つのバージョンがあることになる。

デビュー曲が「ビートルズ以外の人の曲」の予定だった?

こうして、ビートルズは いよいよシングル・レコードをリリースしメジャー・デビューすることになったわけだが、ジョージ・マーティンは ビートルズ以外のコンポーザーに曲を依頼。

デビュー曲は、まったく違う曲になる予定だった。

Composer and record producer

というのも、

当時はまだ「シンガーソングライター」というスタイルは珍しく、コンポーザーと演奏者は別々というのが一般的。シンガーソングライターというスタイルが普及したのはビートルズの成功があってこそだ。

つまり。当時の常識として ジョージ・マーティンは、他のコンポーザーが制作した「ハウ・ドゥ・ユー・ドゥ・イット」という曲で ビートルズをデビューさせようとした。この曲ならチャートNo1を確実に取れるだろうから、彼らのデビューを華々しく飾ってやれるだろうと考えた。

実際、この曲は 1963年に ジェリー&ザ・ペースメイカーズがリリースし、マーティンの予想通りチャートNo1を取った。

が、マーティンの提案に喜ぶかと思いきや、ポール・マッカートニーが「どうしても ラブ・ミー・ドゥ でデビューしたい」と言い張ったため、最終的に「ラブ・ミー・ドゥ」が ビートルズのデビュー曲になった。

リンゴ 無念!

そんな経緯で、やっとデビューに漕ぎつけた「ラブ・ミー・ドゥ」

が!

初版は、リンゴがドラムを演奏したバージョンだったものの、再版からは スタジオ・ミュージシャン アンディ・ホワイトのバージョンに差し替えられ、ファースト・アルバムの「プリーズ・プリーズ・ミー」でもそれが使用された。

a struggling drummer

車の中で 肩を寄せ合いながら聴いた デビュー曲

「ラヴ・ミー・ドゥ」が初めてラジオから流れた時、メンバー同士 車の中で 肩を寄せ合いながら聴いた

という逸話がある。実はこれとそっくりな体験を 我々「ロックンロール・ジーニアス」もしたので今回のストーリーでそのことについて触れている。ぜひ読んでみて欲しい。


具体的なストーリーで考えるヒントをつかもう。

ドキュメンタル STORY で人生をリセット!
〜机上の空論じゃ現状を変えられない。実例からヒントを得よう〜

ボクについては プロフィールを見てね

car passing on cliff road
目次

SONG-85 地方ツアー

物事には全て、タイミングというものがあって。

タイミングが合えば、いろんなことがうまくいく。全ていい流れになってくるんだ。でも大事な時、欲しいときに「それ」がないと・・ 

子育てのへたな親。従業員の心を掌握できない経営者。みんなタイミングが悪い。ヤル気になっている時には「それ」が無く、諦めかけて 情熱を失いかけてから勿体ぶって出てくる。

お金だって、そうでしょ。欲しい時にくれるから嬉しい。感謝する。でも、散々勿体ぶって引き延ばされて渋々出されたら、どうよ? この野郎! ってなる。プレゼントでも、

「ほら、お前らのために用意してやったぞ」

って威張られても・・ タイミングよく出されなきゃ。最後まで出したくない、勿体ないと思って渋々、いやいや出されても・・・

もう遅い。「あー、そうかい」ってなっちゃう。だったら いらねーよ、と。
とっくにそんな気なんかねーんだよ、って怒りを買うだけだ。

NO THANK YOU

と、拒絶する女性の画像。

どんなに「それ」が高価なモノでも、ね。もうなんの値打ちもない。

それが理解できないと

「なんだよ、うちの奴ら!せっかく買ってやったのに・・あれほど欲しがってたくせに移り気だなー うちの社員は」

A man who is troubled without knowing the reason

なんて バカ社長は 的はずれな事を言って ますます周りから反発を食らうんだ。

タイミングというものが、どれほど大事なものか―――

デビュー延期のまま、ボクたちバンドは ツアーに出掛けることになった。

このツアーというのは。デビュー キャンペーン用に組んだものだった。
鹿児島、秋田。関東の近辺も。ツアーして回る企画が立てられてたんだ。

しかし、CDが出ない。

親や親戚は、デビューするってことで 盛り上がっていてね。知り合いも一気に増えていた。でも・・

Days of event and campaign activities
イベント、キャンペーン活動をする日々
Ray Gang & Rock’N Roll Kaz

「今、ツアーに出ても意味がないよ。タイミングが悪い。売るCDがないんだもん。キャンペーンにならないじゃん」

ボクの言葉に レイ・ギャングが、

「中止にします?」

と言うと、場が騒然となった。

メンバーやスタッフで、話し合っている そんな所へ耕次が来た。

「いや。ツアーは予定通り行えばいいよ。延期になっただけで、10月には必ず CDは出るんだからさ。前宣伝ってヤツさ」

optimistic man

ノンキというか、楽天的な物言いに、カチンときた。

「だいたい誰のせいで、延期になったと思ってんの? あいつら怪しいから、話をつめてくれって言ったのに、自分はゴルフばっかりして 気を抜いてたから 騙されたんだよ」

ボクの言葉に、一瞬、場が凍りついたね。あまりにもハッキリ言っちゃったから。

氷河期のマンモスの画像。

弟の 耕次は ボクの強い言葉に、一瞬 たじろいで苦笑いしたものの、すぐに余裕の笑みを浮かべて、

「いや、その点に関しては、申し訳ないって 謝まっとくよ。うん・・申し訳ない」

神妙に頭を下げながらも、笑顔が輝いていた。こういう屈託のなさが、うちの弟には昔からあって、人たらしというか。憎めないヤツというか。結果、周りから慕われて神輿に乗せられ担がれる。目上に好かれる。後輩からは慕われて、いつの間にかリーダーになってるんだ。昔からそうだよ、弟は。

A young man with a carefree smile despite being scolded

「デビューが延期になったのは、みんなに本当に申し訳ないと思っているよ。でも、あの後 中島 社長も反省したみたいでさ。先日 真木さんも交えて、 新しいタイアップを見つけて。その日取りも決まったから。もう変更はないから・・・安心して」

「どうだかね。信用できないよ、もう」

ボクが吐き捨てるように言うと、スタッフが慌てて とりなした。

「まぁまぁ、耕次さんだって 僕らのためにやってくれているんだし・・・そんなに責めたら可哀想ですよ」

uncontrollable anger

デビューが近づいて。昔 ジーニアスに関わっていたスタッフが戻って来ていたんだ。いろいろとバンドの面倒を見てくれていた。彼らには感謝だけど、ボクの怒りは収まらない。

そんなボクの表情を横目で伺いながら 耕次は、

「新しい タイアップもね、夜中の番組に決まりそうだよ。今はまだ詳しく言えないけどね」

となだめるように言った。

タイアップなんか、どうでもいいけど、今度は騙されないように、デビューに影響がないように ちゃんとしてくれよ、って思うだけだ。

デビューするはずだった 8月は もうすぐやってくる。

夏の日の、ひまわりの画像

叫びたいけど、叫んだって 何も変わらない。負け犬が遠吠えしているだけだ。世間の理不尽さに怒りで震えるようなことは、誰にだって訪れる。

しょうがない。今は、この耐え難いデビュー延期を受け入れ前に進もう。キャンペーンするんだ。

デビュー曲の サンプルCD とポスターを持って 有線放送の各地域ステーションを回った。六本木、渋谷、鹿児島、秋田、横浜・・・

Band public relations activities

FM のラジオも回る。と言っても、有名な番組には出演できない。無名な新人なんかお呼びじゃないもの。大きい放送局、有名番組なんかは「大人の事情」が絡んでる。B・ミュージックが裏から手を回してくれないと出演できない仕組み。

つまりね、

「無名の新人の ジーニアスを出演させるから、一緒に 有名な B や Z も番組に来させてよ」

って 番組プロデューサーから頼まれる。

「バーター」っていうんだけどね。有名なアーティストと無名な新人を 抱き合わせで 出演させる。無名の新人は、そういう交換条件が必要なんだ。他には、金を積む、とかね。

持ちつ持たれつ、大人の世界。ギブアンドテイク。

この世界は そういう取引があるんですよ、いろいろ。

でも、「売れるかどうかもわからない」ボクたちに、B・ミュージックは協力してくれない。勝手に、自分たちの力でやってろ。という放置プレイ。「放置キャンペーン」

We are  on the radio show
We are on the radio show

だからね、知り合いの「ツテ」を頼って行くのさ。どこそこの地元に顔がきく人を見つけて。「ここの放送局だったら、出演させてくれるみたいよ。話、つけといてあげる」みたいなね。

もちろん、大きい放送局は無理。キー局じゃない。地方の、小さい放送局とか。誰が聞いてんのか分からないような、人気のないマイナー番組とかね。

それでも行くよ、出演させてくれるなら どこへでも。

よく覚えてるのは、

秋田のね、佐々木さん っていう「米農家」の人がいて。知り合いが、その人を頼って行けって紹介してくれたんだ。その人なら、秋田のラジオでも TV 局でも出してくれるから、って。

有名人だったんだよね、その人。

秋田で、有名な「減農薬 農法」を開発して、近代農業の革命児だったの。
美味しくて 農薬の少ない安全なお米を栽培してるってことで、 NHK とかが特集を組んで取材するような人だったんだ。

田植えや収穫の時期になると、都会の学校からも、「農業体験」で 学生がたくさん来るような。あの時代の注目の農家さんだったんだよね。

その、佐々木さんが口を聞いてくれて 秋田県内の テレビ局やらラジオに出演できた。

We are  on the radio show2

1週間ぐらい秋田に居たかなぁ。いろんな番組に出さしてもらった。寝泊りもタダで面倒みてもらって。

バンドメンバーとスタッフ、大勢で 食事もご馳走になり。

お寺にも泊まったな。そのお寺で「夏祭り」があるからって「盆踊りのやぐら」みたいなステージで演奏させてもらったり。野外 LIVE の後、有名な秋田の「花火」を見たり・・・

「デビューしたら応援するから。CD 買うから」って いろんな人に言ってもらって。「芸能人扱い」されてね。プロの雰囲気を味わわせてもらった。ディナー・ショーなんかも企画してもらって。出演したよ、大きな結婚式場にいっぱい人が集まって・・・

NHK の秋田放送局のラジオ番組に出演した時ーー

生放送じゃなく、収録だったの。昼間に収録したものを、その日の夕方に流す。

いろいろ取材されて。番組収録が終わって「お疲れ様でしたー」って帰ってった。
車に乗って帰ったんだけど。途中の食堂で飯を食って、長い道のりをドライブ。

峠があって。秋田の峠。山道。崖から見晴らしのいい景色が広がっていて。

A woman looking down at the view from the mountain pass

夕方だった。車を走らせて峠を登っていたの。
オレンジ色の夕焼けが山の木々を照らして。

Car running on a mountain road at sunset

そうしたら、ボクたちの曲が。デビュー曲が。

ラジオから流れてきて。みんなで飛び上がった、さっき出演した番組だよ! 今 放送されたんだ、 ウワォ! って感じ。秋田でいろんな番組に出たけど、こうやってリスナーの気分で聞いたことはなかった。突然の出来事。

本から溢れる音符の画像。

テキストメッセージ
「そうしたら。オレたちの曲が。デビュー曲が。ラジオから流れてきて」

車を止めてさ。狭い車の中で。ラジオの前にみんなが集まって。電波がたまに不安定になる中で 聴いたんだよ。自分たちの演奏を。

たしか ビートルズも、デビュー曲「ラヴ・ミー・ドゥ」が初めてラジオから流れた時、メンバー同士 車の中で 肩を寄せ合いながら聴いていた、って話があったでしょ?

同じだよ。ボクたちは まだデビューしてないけど。状況は同じ。

A sudden joy came

一生忘れないな、あの感覚。

秋田の峠で、あの日ーー

ラジオから流れる自分たちの曲を、みんなで 聴いたんだ。

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