SONG-88【郷土愛と疎外感】 鹿児島凱旋ツアー①

A band member who is viewed as hostile タイトル 「SONG-88 鹿児島 凱旋ツアー①」」 ブーイングする客と 喧嘩で相手を派手に殴る男の画像
愛国心と戦争

良いことの裏に、悪事が隠れている

この世は常に 対局にある二つの力でバランスを取っている

陰と陽

男と女

昼と夜

冷と暖

どちらも大事で必要なもの。

たとえ「善と悪」であっても、どちらかが欠けては成立しない。

必要悪もあるし、善をわからせるために悪がある。

This world is two-faced

好きだった田舎から、攻撃される疎外感

子供の頃に育った風景がある。

好きだった人たちと過ごした思い出がある。

ずっとずっと憧れたあの頃の 川や海や空に戻りたかった。そして、大人になって。好きな音楽の道で頑張って、デビューがもうすぐ、ってところまで漕ぎ着けた。だから、大好きな田舎でコンサートが開けるようになったんだ。ボクは幸せだった。心を込めて、自分のバンドで作った歌を歌おうと思った。

beautiful scenery in the countryside

でも、その 大好きな田舎で敵対視されて 悲しみに沈んだ。

誰が悪いわけでもない。みんなが「自分の大事なものを守ろうとした」だけ

郷土愛がある。都会から来たヤツに汚されたくない。田舎だと思ってナメてたら承知しないぞ!

そういう気持ち、よくわかるよ。

都会から来て、田舎をバカにするーー

ボクにそんな気持ちは無かったけど、誤解されて そういう展開になった。

祖国を愛する心。郷土に誇りを持つ姿勢ーー

それはとってもいいことなのに、そこから戦争に発展する歴史を、我々 人間は何度も経験している。

ボタンのかけ違いで 変な争いが生まれる様を、今回のストーリーで考えてみて欲しい。


具体的なストーリーで考えるヒントをつかもう。

ドキュメンタル STORY で人生をリセット!
〜机上の空論じゃ現状を変えられない。実例からヒントを得よう〜

ボクについては プロフィールを見てね

Triumphal tour
目次

SONG-88 鹿児島凱旋ツアー①

鹿児島の実家

東京にいても行き詰まって息苦しいだけだな、と思って。

予定通り「鹿児島を拠点とした 近隣の県を回る 九州ツアー」に行くことにした。

この状況を打破したいのと、メンバーやスタッフの気分をリフレッシュさせたかったからね。バンドメンバーとスタッフと。大勢を引き連れて鹿児島に乗り込んだんだ。

ボクら新人なのに 頻繁に「地方ツアー」に行けたりするのは うちの弟が金持ちで、それなりの資金援助をしてくれるからだけど、それ以外にも 今回のツアーは うちの親が かなりの金を使ってくれていたみたい。
大勢のツアーメンバーやスタッフの宿泊先が、親父たちの住む実家の離れになっていたし、豪華な食事が毎晩出てきて ハードな毎日の癒しにもなった。

以前にもチラッと話したけど、ボクが 渡米してすぐの頃、両親は 横浜の家を売って ここ。鹿児島の実家に引き上げてきた。

ボクは、そのことをアメリカに届いた 母親からのエア・メールで知るんだけど。

思わず声が出るほど驚いたもんね。

勝手に家、売ったんかー。

Surprised man reading a letter

まぁ、ボク自身。人生を 一回リセットするために あの頃の日本の人間関係、土地との「しがらみ」もすべて捨てたんだからいいんだけど。それでも驚いた。だって、2年弱で日本に戻ってきた時。どこにも戻る場所が無くなってたんだもん。

しばらくして「国民健康保険」を作ろうと役所に行ったら「あなたは 失踪者扱いになってます。行方不明で実態がない。透明人間」と言われて またまた びっくりした。親が「そういう届け出」をする間もなく、慌てて田舎へ帰ったらしい。だから、ボクは 役所からしたら 行方不明者だったんだ。

なんか前科者扱いで、書類を書かされて罰金みたいなの払ったよ。

「これ、前科つくんですか?」って心配になって尋ねたら「まぁ・・違法ですから、書類上はアウトですね。でも逮捕はされないです」と言われて混乱したのを覚えている。

親が田舎へ引っ込んだ理由は、ボクの好きな おばあちゃん が ボケてしまったから。

あんな大きな家で永年1人ぼっちだったから、案の定。 ボクが心配していた通り おばあちゃんはおかしくなった。この件について詳細は ⇨コチラ

で、おばぁちゃんを1人には しておけないと 母親が おばぁちゃんとの同居を提案。都会におばぁちゃんを呼ぶのは可哀想。知り合いの多い 田舎で暮らさせてやりたい、とのことで 母親たちが田舎へ帰ることになった。

An old woman immersed in memories

この「母の提案」を親父はとても嬉しかったようで、まだ 定年までだいぶ間があり、出世の予定もあったらしいけど 彼はスッパリ退職した。会社からはかなり引き留められて 待遇補償も提示されたようだけどね。退職したんだ。

で、母親への感謝として。母の念願だった店をやらせるために、売り払った「横浜の家の資金」と、「多額の退職金」を突っ込んで店を作った。豊富な資金に支えられて、初めはうまくいって3店舗まで伸びたけど、素人のビジネスがそこまで うまくいくはずもなく。最後に「鹿児島市内の中学校の近くに作った店」の万引きがすごくて店が潰れ、その負債が他の2店舗にも影響して 結局全部の店が潰れましたとさ。

今は、その店は取られて。 他の人が経営していて。

母親、父親は商売を辞め。何もせず、先祖代々の 旧家で悠々自適に暮らしているらしい。多くの財産は失ったけど、普通に暮らすことは出来ているらしい。

田舎へ帰ったのは 両親だけではなく、当時 中学生だった 妹、高校生になっていた弟も ついて行って 地元の学校に転校したみたいね。弟は都会的な生き方を押し通し。校庭でバイクを乗り回して問題児になったらしいけど。もう少し まともな 妹は、いじめられたそうだ。

A brother who rides a motorcycle and a sister who suffers from bullying

田舎は地元意識が強くて排他的。妹は「ジャン」というあだ名をつけられたと苦々しい顔をして話してくれた。「ジャン」というのは 横浜の方言。「〜ジャン」という言い方をする。妹の口癖だった「それ」を意地悪くあだ名にして呼ぶとは、子供って底意地が悪いな。

ま、その後 弟は香港で起業。妹は大阪で結婚したけど うまく行かず別れて東京にいる。

呼び屋

その妹が ボクのデビュー話に協力してくれ(その時 東京に住んでいたんだけど)ひと足さきに 鹿児島の実家に戻って準備をしてくれていた。

というのも、学生時代の 妹の同級生が、「呼び屋」をやっているようで。いわゆる「イベントプロデューサー」っていうの? 芸能人やら文化人などの有名人を地元に呼んで興行する人のことだけど。「地方都市でイベント会社に勤めていた 妹の同級生」は 地元に帰ってきて独立。「呼び屋」をやってる。その彼に 今回、ボクらのツアーを仕切ってくれるように、妹が頼んでくれたわけだ。

a promoter

そういう「興行」は、昔は地回りと呼ばれる反社の人たちがやってたんだけど、現代ではカタギの「イベント会社」がやったり、学生が自分たちの企画で「学園祭にミュージシャンを呼んだりもして」随分とカジュアルになったものだ。

もちろん今でも「怖い人」が仕切るイベントもあるけど 今回は、妹の同級生がツアーを仕切ってくれた。

ボクが生まれた町の中心地は 今や「シャッター通り商店街」になっていて。おじいちゃんが生きていた頃は あんなに活気があったのに、こんなに寂れて・・悲しかったな。

でもね、そんなところにも「ライブハウス」があって。小さい店だったんだけど、ちゃんと演奏できる。そこそこの音楽が生み出される場所で、楽しかった。ボクが子供時代に育った町で演奏できるなんて、おじいちゃんに聴かせてるみたいで嬉しかったんだ。

初日は地元の その 小ちゃな「ライブハウス」からスタートしてね。でも、今回のツアーのメインは 1週間後に この町の大きな「公民館」でやるホールライブが本番なの。千人ぐらい人が入るところだからね。プチ「故郷に錦を飾る」演出になるみたいね。親戚とかいっぱい来るらしいから。

その「メインイベント」までの1週間、いろんな地域のライブハウスや イベントに出演したなぁ。お祭りに出たり。フェスティバル、ディナーショー。ステージの合間には ラジオ、テレビにも出演してね。もう毎日が音楽。ライブ。

In the TV station waiting room
テレビ局の控え室にて

機材車に揺られて街から町。山に入ったり高速道路をぶっ飛ばしたり。田舎道で迷ってコンビニで アイスクリーム買って食べたり・・楽器を抱えて眠り、車が停まったら降りて「ライブ会場でシャウト!」ノリノリ、OK。

鹿児島で ボクらを気に入った 音楽好きが そのままついてきて

「俺も東京行って ジーニアスのスタッフに なっていいですか?」

なんて言われて。

本当にプロのミュージシャンになったんだ。と錯覚したよ。今後もずーっとこんな生活が続く、とね。

ま、10日間ほどで その夢は醒めるんだけど。

live tour

アウェイ

忘れられないぐらいの感動も味わったけど、嫌な思いも結構した。

これね、ボクらが有名人だったら良かったのよ。でも、無名の「デビュー前の新人」が東京からやってきて「もうすぐデビューします、応援してください」とやるわけでしょう?

今 考えりゃ「ケッ」て思われても仕方がない。

有名だったらさ「おー、よくきてくれた。この街まで」となる。

でも無名だから。

「なにお前。偉そうに東京からやってきて デビュー前の宣伝ライブです、とか言ってくれちゃってんの?」

となる。直接 面と向かって言われることは少ないけど、態度とか表情でわかるよ。もちろん、東京から来た、って言った途端「なにカッコつけてんの」って露骨に牙むいてくる人もいる。「東京から来る、って悪いこと?」う〜ん、そういう感覚あるのか? と面食らった。

There was a miscommunication

怒鳴ってくる男の画像。でも、彼は誤解して怒っている。

ボクとしては「自分が生まれ育った九州」でライブやれる。嬉しい。鹿児島出身って言えば、九州の人は応援してくれると思ってたんだ。でも、ことはそう単純じゃなくーー

「なに 東京から荒らしに来てんだよ。俺らの町を!」

って思う人もいるんだな。そんな気、ぜんゼン無いけどね。

無名だから 鼻につく。「東京から来た、って触れ回ってる偉そうなバンド」って取られちゃうことも 結構あって。アウェイな空気にさらされた。

特に強烈だったのは「熊本のライブハウス」に出演した時だな。

熊本ってさ。ボクの生まれた 鹿児島県 出水市 から近いの。鹿児島市内に出るよりもよっぽど近い。隣町。

だから「地元意識」に近いものを感じてさ。馬刺しも美味いし。ここでのライブをすごく楽しみにしてたんだ。

東京で知り合った「熊本のバンド友達」や、速弾きヒカルの知り合いも近くの町に住んでたからさ。みんなを呼んで。最高のライブを見せようと気合い入れて その日 リハーサルに行ってみると・・

ライブハウスの入り口にボクらのポスターが貼ってあって。

Rock'n-Roll-Genius-Concert-Poster

「おっ、ここだ ここだ。今日は楽しもう」と店の中に入って行って。スタッフに笑顔で挨拶してさ。

「ん?」ってなんか違和感を感じる。歓迎されてない空気・・・

ライブハウスのスタッフは、ほとんどの人が笑顔でフレンドリーなんだけど、何人かは挨拶しても返事を返してくれない。まぁ、忙しいし、そんなこともあるからね。気にしてなかったんだけど。

極め付けは 対バン(同じ日に演奏をする他の出演者)が 思いっきりシカトで敵意を剥き出しにしていたこと。あからさまな態度だったよ。

今にして思えば、気に入らなかったんだろうね。東京から「デビュー宣伝ライブに来たバンド」って、店に ボクらのポスターが貼ってあるし、チラシは置いてあるしで。名前も知らないヤツがメジャー気取りでやってきた。と取られたのかな?

なんだ、偉そうに! って気持ちと「俺ら アマチュアだけど文句ある? プロとか言ったって、そんなのカンケーねーし」という反発感をビシビシ感じた。

そういう敵意というかライバル意識は、ボクらもバンド結成当時は強く持っていたからわかるよ。そのぐらいの気持ちがなけりゃ昇っていけないってこともね。だから受け流してたんだけど。空気が痛くて、リハの場所に居たくないんだ。そのぐらいの感じ。

surrounded by enemy soldiers

ハードコアのバンド だったけどね。

ドラムの スネアのチューニングを「カンカン」って耳をつんざくほど皮を張って固くして。鼓膜破れるかと思ったもん。ヒステリーなスネアの音。叩くたんびに耳を攻撃されてるような。怒鳴られてるようなショット。

それが印象的すぎて、他の楽器の音がどうだったか 演奏力があったのか下手だったか。どんな曲やってたのかも、全く覚えていない。覚えてるのは「カーン」って耳をつんざく不快なスネアの音だけ。こんなに不快なリズムは後にも先にも聞いたことがなくて ショックだった。

さらに。

本番になって ボクらのバンドがステージに出ても「シーン」

客はいるのに一切の拍手も反応も無し。対バンと、そのバンドの客が敵意剥き出しで座ってる。あまりの雰囲気に、ボクらのバンドのお客さんやスタッフも圧倒されて静かに見てる。

アウェイな場所で、不利な状況での演奏には慣れてるから気にせずプレイした。

「この曲をやれば絶対に受ける」という鉄板のメニューがあるから、自信満々の曲構成でライブを組み立てるんだけど・・・

「シーン」

hostile silence
hostile silence

LAロックの連中が 雑誌のインタビューに答えて言っていたことを思い出した。

「ツアーに行くと、クソな体験もする。ぜんぜんウケなくてブーイングの嵐。敵意剥き出しで、俺らの音楽を聴く気もない。敵の戦闘機を撃墜するみたいに、最前列の連中は 俺に向かって大量のツバを吐いてくるから。その攻撃を避けながら演奏するんだ。最悪だよ」

ボクらはツバこそ吐かれなかったけど、アウェイな体験の内容は 似たり寄ったりだ。

そもそも聴く気がなきゃ「ノリノリ ライブ」は成立しない。コール アンド レスポンス なんだ。「わぁ!」とこっちが言って、客席が「ワァオ!」って呼応し合うから最高のライブになる。会話と一緒だよ。話しかけても無視されたら対話は成立しない。芸術も、レオナルド・ダビンチが描いた絵に感動するから成立するんであって。「こんなもん、ちっとも良くねー」って感性の人ばかりだったら価値がないと思われてゴミの日に捨てられちゃう。

どんな世界でもそうだけど、特に 音楽や映画や絵画、演劇なんてものは お客さんも一緒になって作るものなんだ。そういう雰囲気が生まれなきゃ、感動も何もない。

spit at someone

ボクは、この日のライブを今も忘れていない。もう一度 熊本に行って。みんなが嬉しくなるような。「ワクワクドキドキ」して感動するような。そんなリベンジ・ライブを「熊本で」

いつかやりたいと思っている。

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Rockn-Roll-Genius-Concert-Poster-2
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