2005 年 前後から、ボクは「音楽だけ」をやっていても成功できない、と確信するようになった。
結局、音楽が 売れるためには「いいスポンサーが付かなければ 実現しない」という現実を嫌ほど見せられてきたからである。
いいスポンサーと言うのは、「企業のキャンペーン用の曲に採用される」ことだったり、「映画やドラマの主題歌になる」ことだったり・・
そういうスポンサーが付けば、初めて「マスコミが相手にしてくれる。テレビやラジオ、雑誌に取り上げてくれる」
マスコミは「ブームは俺たちが作る。大衆はどのようにもコントロールできる。だから売りたいものを売る」と言っていたし、実際「これからは バンドも アイドルにやらせるんだ」なんてことを言うから「そんなバカな」と笑っていたら、本当にそうなってしまった。
昭和の時には、少ないながらも「そういうコントロール」から逃れたエンターテインメントが大衆の中から出てきた。でも・・この平成の時代は、そうじゃなかった。完全に権力者にコントロールされていた。
だから ボクは 起業して「自分の音楽を守るために、自分の活動にお金を出す スポンサーに、自分自身がなろう」と思ったのだ。
これが、ボクが何度も起業して、ビジネスを始めた理由である。
2005 年 オリジナル音楽雑貨 制作 販売
ビジネスをやって、儲けて「自分の音楽の スポンサーに、自分が成るんだ」と思ったものの。
何で 起業するの? なんのビジネスをやるの?
と、基本的なことがまるで わかっていないボクは途方に暮れた。仕方がないから デパートに行って「売られている商品を眺めたり、雑誌や本で情報収集してみたり「起業している社長さんに話を聞きに行ったり」して ヒント、糸口を探した。
そんな中で出会ったのが、ワニ革 の財布 である。
ゴツゴツした「クロコダイル革 の財布」を手にとった時、衝撃が走った。「カッコいい」ワイルドだ、ロックしてるぞ、と。
でも値段を見て、またまた衝撃。何十万もする。
流石にそんな高いもの、仕入れられないぞ、と思って。諦めかけた時に、本物のワニ革じゃなくて。牛革 や 豚の皮に「型押し」と言って ワニのような ゴツゴツした「型を押し付ける」手法があるというのを知った。値段も本物に比べると 笑っちゃうぐらい リーズナブル。
その型押しの 工場というか 作業場に見学に行くと、本物と見分けがつかないような「型押しの ワニ皮」を目にしてアドレナリンが噴き上がった。これだ! これで財布作って起業しよう、と。
もう「仕入れじゃなく 製作」に頭が傾いてるのね。もともと音楽制作の現場にいたから、職人さんとか モノづくり とかが大好きなんだ。
火がつくと猛烈に動き出す性分なので、それから 浅草の方の下町や 大阪に行って バッグや財布のパーツに使う金具やボタンなどの材料を探しに行ったり、埼玉県の草加が「革製品の工場がたくさんある街」だと聞いてボクの財布を作ってくれる職人さんを探したり。
「起業しよう」と思った時から少しづつ貯めた 100万円ちょっとのお金があったけど足りないと思い、方々に頭を下げてお金を借りて 総額 300万円 ぐらいで細々と事業をスタートさせた。
最初に作ったのが、以下の ワニ革 型押し財布 である。
Rock’N RoLL Wallet
クロコダイル革の財布を模した、「型押し」財布。ウォレット・チェーンが付けられる。
Rock’N RoLL Wallet
音楽雑貨、という切り口で 財布以外にも以下の商品を企画製造、販売した。
- 楽器をイメージさせる リング
- 心晴れ晴れ 青空 T シャツ
七宝(しっぽう)Music リング
青空 T シャツ
「こだわりの 音楽雑貨」は、まったく 売れなかった。
理由は簡単。無名のブランドは、ブランドとは認識してもらえず。
ノーブランド商品として 無視され続けた。それでも価格が安ければ 多少は受け入れてもらえただろうが、目一杯 こだわって、デザインにも素材にもコストをかけた。ビジネス素人のバンドマンがやりそうなミスである。
結果、無名ブランドとしては 価格が高く、敬遠されたのである。
マーケティングの世界では 今回の手法を「プロダクト・アウト」という。
まず商品を作り、買ってくれる人を探す。
これは 素人が手を出してはいけない手法だ。よっぽど マーケティングが上手いビジネスマンなら、無名商品でも「その商品の良さをクローズアップし、付加価値をつけて」説明、魅力的に見せて販売できる。でも、それはビジネス上級者の手法。
素人は、まず「マーケット・イン」と言って 市場で人気がある物、よく知られていて売りやすいもの、説明しなくてもみんなが欲しがっているもの、から商売をするべきだった。
それでも T シャツは そこそこ人気が出て、今でも ボチボチ売れているが、総括すると「初めてのボクのビジネス」は大失敗に終わった。300万円 ほどの資金を溶かし、手痛いビジネスの洗礼を受けたが、それ以上 借金しなかったのが せめてもの幸い。痛みを噛み締めながら、またバイトに精を出して 体勢を整え、次のチャレンジに進もうと 頭を切り替えられた。
とはいえ、ダメージも なかなかに大きかったので、次への アクション のためには また何年もの貯金を余儀なくされたのである。
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