2013 年 9月 株式会社 ジーニアス インターナショナル設立。
一度目のビジネスの失敗で懲りて「流石に 素人が知識もなく 起業するのは無謀だ」と気付いた。
そんな基本的なこと、最初から気づけよ! と、自分で自分にツッコミを入れたくなるが。非常識(常識知らず)で情熱に任せて突っ走っちゃうのがボクで。そんな やり方でも、たまに大成功したりもするから「考え足りずで全力疾走」することも全否定はできない。けれど、せめて もう少し考えよう。
行動する前に、少しは勉強、下調べぐらいはしようぜ。と思うようになったから「ほんのちょっとだけ」危機管理能力が上がった。
そんな最初の起業失敗から 八年ほど経った頃。
ネットを見ていて、貿易 こそが最高のビジネスである、というような セミナー動画が流れてきた。
またまたで。今 思えば「なかなかに怪しい 派手な煽りの文句」
振り返れば そう思うのだけれど「貿易」という響きが ホンモノのビジネス 感が漂っていて、興味を惹かれた。
動画の中身は、
海外には 日本人の知らない 便利でオシャレな「画期的商品が溢れ、日本市場に紹介されず眠っている」
それらの「お宝商品」を発掘し、日本に輸入する前に「総代理店 契約」を結んで 独占的に輸入販売しよう、という物だった。
輸入総代理、というのは「日本での販売はボクだけに任せてくれ、他の人には商品を下ろさず、日本での窓口をボク一人にしてくれ」というもの。
そうしたら「ボクが 日本の卸や店舗に流通させ、責任を持って この商品を日本で ヒットさせていくから」という契約を結ぶことだ。そうすれば、その商品が欲しい場合、ボクを通す以外なくなる。
これは画期的な手法、ビジネスだと思った。
心がザワザワして鳥肌がたったボクは、うちの奥さんにも動画を見せて「輸入総代理 貿易業」への可能性に思いを巡らせた。「これ、いいんじゃない?」と奥さんも盛り上がったので、次の起業のために貯めていたお金を その「貿易スクール」の入学に使った。何十万もする受講料で、かなり貯金は無くなったが、希望が膨らんでおり「ま、いいか」と思った。
スクールが開校されると「死に物狂いで 貿易やノウハウを学び」半年間の 授業が終了する前に ある商品を発掘し、本国メーカーに何度も 英文メールを送り、貿易の専門家に契約書も作成してもらい、無事に「総代理」契約を結んで 貿易業を スタートさせた。
SOLE DISTRIBUTION AGREEMENT(総代理権 契約)
スクールでは、「優秀賞」も受賞し、賞状と時計をもらった。
それが以下の 商材 である。
高機能 松葉杖 Smart Crutch
スマートクラッチは、その画期的なデザインと「人間工学に基づいた設計」による 高性能な機能で 輸入するとすぐ マスコミに取り上げられ、アマゾン「杖 部門のランキング1位」に選ばれ アマゾン日本支社にも呼ばれて「独占契約しないか?」と持ちかけられるほど 順調な滑り出しを見せた。独占契約では利益がかなり薄くなるので辞めたが、経営は安定するだろうね。
スマートクラッチは、このようなチャンスに最初から恵まれた。
が、同時に いくつもの障害に 次々と見舞われる商材でもあったのである。
まず 輸入時に「港の税関」を通り抜けるまでが 大変だった。
税関が言うには
「松葉杖は 医療関連商品であるため、医師や 薬剤師などの資格を持つ者が会社内に居ないと輸入できない」
と言うのだ。
これには全身から 血の気が引いた。契約を結んで「これから」という時に。輸入出来ないんでは話にならない。
「輸入総代理 契約」を結んで すぐに 昔のバンド名を受け継いだ 会社まで設立しちゃったのだ。
焦りながらも ボクは 厚生労働省 やら 都庁にある 介護、障害関連の 部署など、さまざまなところへ連絡した。いろんな人にいろんなアドバイスを受けて動き回った。
結果、厚生労働省の担当者から
「松葉杖は 医療機器ではなく、歩行補助用具である。したがって輸入規制の対象から外す」
という言質をとり、それを「税関 担当者」に伝えてことなきを得たのだ。
こうして無事に輸入が出来て 販売を始めると、前述したように 初回 輸入分の 何百本かはすぐに売り切れ、次の商品が入ってくるまで品切れ状態が続いた。
これが 物販 の難しいところで、品切れはさせたくない。が、大量に仕入れるには何百万、下手すれば何千万単位の 仕入れ資金がかかる。これまた難問で、金融機関や 日本政策金融公庫 から多額の借り入れを余儀なくされた。
NewYork 発 こどもアクセサリー Lily Nily
順調な滑り出しをした 松葉杖 事業。
少し ゆとりが生まれた ボクは、もう1つぐらい「別の商品」を扱ってもいいかな? と思うようになっていた。
ちょうどその頃、一緒のスクールで学んでいた女性が「ニューヨーク の 超可愛い こどもアクセサリー Lily Nily」という商品の「輸入総代理契約」直前まで漕ぎ着けていた。
それを よそ目に見ながら、「オレもああいう アクセサリー やりたいな」と思った。
ボクは ロックの世界にいて、ワイルドなイメージを醸していたけれど、実はこういう可愛いのも好きなのである。
で、Lily Nily を見せられた時から「ああ、オレ もああいうの やりたいな」という気持ちが日毎に膨らんできて、眠っていても夢に見るようになってきた。
仕方がない。恋しちまった以上、同じような商品を アメリカまで 探しに行こう!
と奥さんを誘って、家族旅行も兼ねて、ロサンジェルスに飛んだ。
なぜ ロスかと言えば、ニューヨークまでは旅費が高かったし、昔 サンフランシスコに住んでたことがあったので(詳しくは コチラ)その近くの大都市ロサンゼルスなら ビバリーヒルズもあるオシャレな街だから アクセサリーも見つかるだろうと踏んだのだ。
ところが どっこい。
ロスアンジェルスに降り立ち、現地の「物販コーディネーター」の車で ダウンタウンから サンタモニカまで 広範囲に渡り 1週間。可愛い こども アクセサリー を探し回った。来る日も来る日も・・
でも、ぜんぜん見つからない。
たまに アクセサリーを見つけても、素材も鉄で重く、無骨なデザインで Lily Nily のセンスには遠く及ばないものばかりだ。失意を抱えて 帰りの飛行機に乗り込み、疲労感だけを土産に日本へ帰ってきた。
アメリカも、昔ボクが渡った時の輝きを無くしていて。なんかあの頃の良さが無かったなぁ、と残念に思った。
そうやって 2〜3 日 疲れて過ごしていたら、Lily Nily を発掘した「貿易スクール」の仲間の 女の子から、
「Lily Nily の 総代理権 を譲りたいから 私の代わりに 契約して欲しい」
と連絡を受けて驚いた。
その女の子は 大手の 有名外資系 企業 に勤めており、役職もあるので 起業するのは辞めた。副業で商売をする道も考えたが、旦那さんと相談して諦めたそうだ。で、ボクが Lily Nily に興味を持っていたことも知っていたし、先行の「松葉杖ビジネス」も順調なようだから ボクに任せることを決めたようだ。
強く願っていたので「棚からぼたもち」のような幸運が舞い降りた。念ずれば通ず、だ。神様は「強く願う人に しばしば こういう奇跡を起こす」ものだ。
こうして ボクは Lily Nily 社 と契約。2つ目の 輸入総代理 権 を手に入れたのだ。
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